「違法」と「違反」の狭間で
整体やリラクゼーション業界に身を置いていると、切っても切り離せないのが「資格」の問題です。周知の通り、整体などの民間療法には国家資格がありません。そのため、広告表現などは法に抵触しない限りにおいて、かなり自由度が高いのが現状です。
しかし、この現状について、実は国家資格保持者の方々でさえ正しく理解していないことが多々あります。よく耳にする「無資格整体やリラクゼーションは違法だ」という言葉。
実は「違法」と「違反」は、似て非なるものです。
かつて最高裁判所は、あはき法(あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律)が適用されない無資格の医業類似行為について、「人体に危害を及ぼすおそれがない限り、禁止の対象にはならない」という判断を下しました。
つまり、私たちが提供する施術は、単に国から「罰則がないから見逃されている」という消極的な存在ではありません。
少なくとも行政上、そして司法の判断において、「有害でない限りは職業選択の自由(憲法22条)として認められる」という立場が確立されているのです。
一部の国家資格保持者が「違法」という強い言葉を使うのは、あくまで自らの職域を守るためのポジショニング・トークに過ぎません。
国家資格を持たないセラピストの存在は、野放しにされているのではなく、過去の判例や省庁からの通達という明確な根拠に基づいた、行政の生存圏の中に位置しているのです。
昭和35年判決の「光と影」:HS式無熱高周波療法事件
この議論の根幹にあるのが、昭和35年1月27日の最高裁判決です。


ここで「人の健康に害を及ぼすおそれがない限り、職業選択の自由として認められる」という大原則が示されました。これだけを見れば、無資格者の完全勝利のように思えます。
しかし、物語には続きがあります。
実は、この判決は一度「高裁」へと差し戻されています。
差し戻された仙台高裁(昭和38年7月22日判決)では、被告人の施術内容であった「HS式無熱高周波療法」が精査され、「これには人の健康に害を及ぼすおそれがある」と断じられました。

結果、最終的な昭和39年の最高裁判決でもHS式無熱高周波療法とその施術者の有罪が確定しました。
裁判の判決がHS式無熱高周波療法とその施術者に限ってますから、これら一連の裁判から導き出される真実は、「整体は無罪になった」という解釈は半分正解で、半分は間違いだということです。
正しくは、「医学的根拠が乏しく、少しでも危険性や健康被害の恐れがあるものは、無免許であれば当然に処罰される」。これこそが判決の真意だと思われるのです。
一部の無資格団体は「整体は医業類似行為ではないから自由だ」と主張しますが、これは些か無理があります。
身体に変化を与え、不調を整える行為である以上、リフレクソロジーであれアロマであれ、法的には広義の「医業類似行為」に含まれると考えるのが自然です。
また、判決文には「適切な医療にかかる機会を失わせること自体が公共の福祉に反する」という趣旨の一文もあります。
「怪我をさせなければいい」という消極的な理由だけでは、私たちの安全性を証明したことにはならないのです。
カイロプラクティックが開けた「パンドラの箱」
司法が示した「あいまいな境界線」を、さらに決定的なものにしたのが行政の動きです。
昭和45年6月24日の通達(医第三七四号)は、日本の手技療法史における最大の転換点だと私は思いました。
厚生省―昭和45年6月24日付医第374号「法令適用上の疑義について」の文章中に、
『カイロプラクチック療法は、脊椎の調整を目的とする点において、 あん摩、マッサージ又は指圧と区別され、したがって、あん摩、マッサージ又は指圧に含まれないものと解する。』
という記述があります。
この厚生労働省の通達により、国は「カイロプラクティックは脊椎の調整を目的とするものであり、あんま・指圧等とは区別される」と認めざるを得なくなったでしょう。
これこそが、あはき法という包囲網に「穴」が開いた瞬間です。
この通達がもたらした影響は、以下の4つの視点から整理できます。
- 「あはき法」包囲網の突破と論理的生存圏の誕生
それまでの「身体に触れる施術はすべて国家資格の範疇である」という硬直したスタンスが崩れ、「国家資格の理論とは別個の目的を持つ手技であれば、直ちに法律違反(あはき法12条違反)にはならない」という論理的な生存圏が公式に誕生しました。いわば、あはき法の外側に「適法に活動できる空間」が確保されたのです。 - 行政文書が証明する「国家資格以外」の存在
この影響は、平成3年6月28日付の通達(医事第58号)『医業類似行為に対する取扱いについて』に、より鮮明に表れています。この通達内(2)の表題が、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師以外の医業類似行為について」となっている点に注目してください。
国家資格の名称を具体的に列挙した上で、それら「以外」の存在をわざわざタイトルに冠していることこそ、国が民間療法を「公に存在する業」として認め、行政の管理対象としている何よりの証拠なのです。 - 「治療」から「リフレッシュ」へ:目的の再定義による波及効果
カイロプラクティックが「脊椎の調整」という独自の目的で別枠となったことは、他の民間療法に「目的による差別化」という武器を与えました。
「医学的に証明されていない(=医学的根拠が乏しいとされる)カイロが別物なら、私の整体も別物だ」という理論武装が可能になっただけでなく、「施術の目的を治療(医業)としない」という新しい解釈が生まれました。
「病気を治すのが国家資格の仕事なら、心身の緩和やリフレッシュを目的とする私の整体は、無資格でも行える別枠の業である」という大義名分が成立したのです。これにより、行政側も、多種多様な手技の一つひとつを「医療的根拠があるかないか」「マッサージか、否か」といちいち精査することが事実上、意味のないことだという考えに変わってしまったのではないか? - 「判決」と「通達」の化学反応が生んだグレーゾーン
「害がなければ禁止できない」という司法の盾(昭和35年判決)と、「あはき法とは別物である」という行政の矛(昭和45年通達)。この二つが組み合わさることで、「あはき法の枠外にあり、かつ健康被害を起こさない限り、処罰される根拠がない」という巨大なグレーゾーンが完成しました。
特筆すべきは、昭和45年の厚生省通知が果たした役割です。
昭和39年の最高裁最終判決(HS式有罪確定)以降、世の中には(昭和22年のあはき法公布時、届け出を出すことで営業を許されていた国家資格以外の医業類似行為業者は存在していたにも関わらず)やはり国家資格以外の医業類似行為は法的に認められないという、実定法の壁に閉ざされた重苦しい雰囲気が蔓延していたという雰囲気があったのではないかと想像してしまいます。
昭和35年の判決で示された「職業選択の自由」という理想は、現実の有罪判決の前に、一度は形骸化しかけていた雰囲気があったのではないか。
しかし、この昭和45年通知において、国が自ら「脊椎の調整(カイロ)」という新しい概念を認め、国家資格との「目的の分離」を公言したことで事態は一変したのではないか。
これは、形骸化していた昭和35年判決の理念に再び血を通わせるものではなかったでしょうか?
つまり、この通知が本当に意味していたことは、法律(あはき法)という厳格な枠組みを超えて、憲法が保障する『職業選択の自由』の優位性が、行政運用の場において初めて実質的に認められたという、日本の手技療法史上における「隠れた大事件」であったと私はみています。
あくまでも解釈上ではあるにしても、この歴史的な逆転劇こそが、現在の多様な国家資格を有しない状態での整体・リラクゼーションビジネスが花開く土壌となったのではないか。
ただ、昭和45年の時点でも現在でも、この通知の本質は変わらないと思います。
それは、決して国が安全を保障したわけではなく、「法的な身分が確立されていない(資格という鎧を持たない)からこそ、最大限の安全配慮義務を施術者個人の良心と責任に課した」という、極めて厳格な自己責任の通達なのだと私は理解しています。
あいまいさの中にある「誇り」と「責任」
最高裁まで行った事案が、再び高裁に差し戻されるという「異例中の異例」のプロセス。
これは、日本の法体系が「職業選択の自由」と「国民の安全」の板挟みになり、苦悩した歴史の跡そのものではないでしょうか?
この「あいまいさ」は、私たち施術者にとって、法に守られていないという不安の種かもしれません。しかし同時に、それは「自らの研鑽によって安全と信頼を証明し続ける責任」でもあります。
法律は「最低限のルール」しか決めていません。だからこそ、私たちには国が決めた基準以上の「プロとしての自主的な高い基準」が求められます。
現在、私が骨格矯正の現場に立ち続けていられるのは、決して法的に「完全に白」だからではありません。昭和30年代から続く先達たちの裁判の歴史と、その結果生まれたグレーゾーンの中で、個々の施術者の良心に委ねられているに過ぎないのです。
お客様から「国家資格ではないのですか?」と問われたとき、私は曖昧にごまかしません。
この複雑で重い法的背景を正しく伝え、その上で、国家資格という枠組みを超えた安全と誠実を提供すること。
それが、この「あいまいな世界」でプロとして生きる、私の唯一の証明だと信じています。

今回の記事だけでは、無資格で施術を行っていいという決定的な論理にはならないとは私も実は思っていたりします。
ですから、次の記事から本題に入っていきます。
(プレイズエッセイ第3話)

