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美動のしおり

約25年にわたり療術の現場に向き合ってきて、私が強く実感してきたのは、「健康寿命を延ばすには、正しい姿勢ときびきびした動作を支える“確かな健康の土台”がどうしても必要だ」ということでした。

どれほど外見が一時的に整って見えても、肝心の体が弱っていれば、その姿勢や動きは長く維持できません。内側に重だるさや不調を抱えているほど健やかさを保つ力は落ち、やがては外見の衰えすら止められなくなります。肌荒れや吹き出物が内側の乱れを映し出すように、骨格の歪みもまた、容姿や体型にそのまま影を落としてしまうのです。

私の考える“真の健美”とは、体のリズムに沿った生活習慣や心身の安定、内側からの調和、そして筋肉や関節が正しく働くことで美しい姿勢が生まれ、その延長線上に整った体型が自然と形づくられていく——そうした全身の健康がもたらすナチュラルな美しい体型です。

以前の記事で私は、健康を支える最重要ポイントは“体力”だと書きました。体力が乏しければ健やかな状態を保てず、疲れにも勝てず、全身がすっきりとしない状態に傾きます。さらに深刻なのは、体力が不十分だと、本来持っている健やかになろうとする力そのものが十分に働かないことです。本来なら一時的なはずの肩や腰の重だるさでさえ、驚くほど長引いてしまいます。

つまり、どれほど卓越した施術技術を用いても、受ける方に体力が備わっていなければ、その技術は十分に発揮されず、宝の持ち腐れとなってしまうのです。

では、そうした悪循環に陥らないためには、体力を増やせば良いのでは?と思われるでしょう。

ところが、体力というものは薬や特定成分で直接“補充”できない、という事実を私はある上場企業の製薬展示で知りました。しかし、体力を言い換えると、それは“生命力”そのものです。西洋医学でも同様の概念が扱われますが、生命力を直接高める決定打となると、やはり答えは「難しい」に行き着きます。

ところが東洋医学の視点から見ると、この問題はきわめて自然に説明がつきます。なぜなら、東洋医学では生命力のことを“気”と呼ぶからです。

つまり、【体力 = 生命力 = 気】。この公式がそのまま成り立つわけです。

「元気」という言葉も“元は気”と書きます。気が満ちれば、心も軽くなり、心身が心地よくリラックスし、本来の体のリズムが整い、すこやかさを保つ力が引き出されて、体調が自然と上向いていく。とてもシンプルな流れです。まさにこの流れを、私は何度も目の前で見てきました。結局のところ、体力が回復すれば、人は自然と元気になれるのです。

そして、その体力(=生命力=気)を満たす方法は、特別な場所に行かなくても、普段の生活の中にいくらでも転がっています。東洋医学は、その積み重ねを2000年も続けてきた知恵なのです。

私たちは日常の中で、思っている以上に多くの“無機物”に触れながら生きています。そして知らないうちに、少しずつ生命力を失っているのではないか、と感じる瞬間が増えてきました。

そういえば17年か18年前のことですが、はじめて「回復に年単位はかかるだろう」と思われたひどい筋肉状態の方を施術したとき、“体から力が抜けていく”ような不思議な感覚に襲われたんです。その時ふと、学生時代に教わった「体力は満ちている場所からエネルギーの低い場所へ流れる」という言葉を思い出しました。

施術者としての適性とは、“不調を抱える人に触れても自分の体力を保てるかどうか”と教えられましたが、あの施術中の独特の疲労感こそが、その“流れ”そのものでした。

生命力というのは、満ちているところから、空(アキ/カラ)の方向へ静かに流れ出す性質があります。無機物に囲まれて暮らすということは、気づかないうちに生命力が吸われていく、ということでもあります。

人工のアラーム音で目を覚まし、朝食には大量生産された加工食パンを口にし、金属の車や電車に乗って通勤し、コンクリートに囲まれ、昼食は外食かコンビニ、帰宅後は出来合いのお惣菜や電子レンジ調理、あるいはファストフード。食後はスマホを開き、SNSや動画、ゲームに没頭し、ブルーライトを浴びながら眠りにつく――。こうした一つひとつは、現代ではごく普通の光景です。

しかし、その「当たり前」の積み重ねの裏で、生命力はゆっくりと、しかし確実に流れ出していきます。一日ではほんのわずかでも、それが一年、五年、十年と積み重なれば“ちりも積もれば山となる”のと同じです。気がついたときには、慢性的な疲れや回復力の低下、気分の落ち込み、すっきりしない眠り、食欲不振、お腹の滞りなど、いろいろな形で体に現れてきます。

これらは年齢やホルモン、体調の乱れといった原因が語られがちですが、もしかしたら根底には、生命力の慢性的な枯渇――すなわち「老化」が隠れているのかもしれません。

とはいえ、自然寄りの暮らしを多少なり取り入れているからこそ、

・途中で目が覚めるくらいの浅い眠り
・疲れは抜けにくいけど日常生活はこなせる
・ズキズキする重さは毎日のケアでなんとかしている
・首の重だるさは朝の寝起きに感じる程度
・腰まわりがなんとなく気になる
・ウエストではなくヒップでサイズを選ぶようになった
・栄養バランスを考えた食事なのに下半身がスッキリしない
・運動しても脚が重いまま(パンパンな状態)
・階段を上ると足がガクッとする

といった、極端に生活を奪われるほどではないものの、“何となく調子が悪い”で踏みとどまれているとも言えます。

そして、こうした“なんとなく不調”の背景には、生命力がギリギリの量しかないまま、自転車操業のように頑張り続けている状態が隠れているのかもしれません。

でも、生命力は流れ出ていくだけじゃなくて、逆に“満ちたものから注がれる”こともあります。人も自然も、生命力の少ない人やモノに、そっと力を吹き込むことができるのです。

その身近な方法として、
1番目は「手作り料理をいただく」
2番目は「鮮度の高いお湯につかる」
3番目は「ウェルネスケアを受ける」
です。

“気”を養う食材を取り入れれば、体力は内側から確かに回復していきます。滋味に満ちた食の中には生命が宿り、その力が体に本来の活力を与え、全身を健やかに整え、内側からにじみ出るような美しい姿勢や、品のある動きへと変わっていきます。

そんな思いを込めて私は、「施術によって生まれる美しい所作を完成させるための、命あるおいしい食」——その理念を象徴する言葉として“滋味美動(じみびどう)”と名付けました。

これからは、この“滋味美動”、そして気を養い美しい動きをつくる“養気美動”をテーマに、様々な記事をお届けしていこうと思います。

美しい所作や姿勢を支える、命あるおいしい食 ── 「滋味美動」。

記念すべき第1話では、食材があふれる現代にあえて「野草や伝統的な植物」に注目した理由、そして日本の地形と縄文時代から続く食の豊かさについて紐解きます。私たちが本来持っている「強さと再生力」を目覚めさせる、食の知恵をお届けします。