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医業類似行為業の真実④―密かに解釈変更された「治す」という言葉の定義

ご好評をいただいているオピニオンシリーズ『医業類似行為業の真実』。その第4弾となる今回のテーマは、私たちが当たり前のように耳にする「治す」という言葉の本質についてです。

2000年代半ばの開業からの現場経験、そして2009年の国家規模の地殻変動を経て私が行き着いた、本当の健康の公式とは一体何だったのか。

業界の常識を覆す、少し奇妙で、しかし確かな身体の真実を紐解きます。

「治る」とは、一体どんな状態を指すのか。
この問いを同業者に投げかけると、大抵は「痛みがなくなることに決まっているだろう」と即答されます。

確かに、私たちも普通に考えれば、「治る=痛みや不快感がない状態」だと思って専門家を頼ります。

内科的な疾患など、お身体の「内部」の問題であれば、間違いなくその通りでしょう。どこかが痛めば、画像診断によって影となった根本原因が映し出される。それが腫瘍であれば手術によって物理的に除去し、機能低下であれば適切な薬物投与によってコントロールする。

この一連のプロセスがあるからこそ、私たちは「治す行為とは、根本原因を取り払って痛みや不快感を消し去ることだ」と、ごく自然にイメージするわけです。

しかし、多くの方が日常的に直面する筋・骨格、つまりお身体の「外部」の不調に関しては、その公式がそのまま当てはまるとは限らないと、私はかなり前から考えていました。

これまでの私の現場経験から言えば、筋骨格系のコンディショニングにおいて「不快感をゼロにすること」だけをベストなゴールに設定するのは、少し的外れなのではないか、と現在でも感じているのです。

今でこそ広告に関する表現の規制は非常に厳しくなりましたが、私が開業した2000年代半ば頃は、国からの注意勧告こそあったものの、実質的な運用は非常に緩やかな時代でした。

自社のホームページに「治」と一言二言記載する程度であれば何も問われず、お客様からの「なんとかしてほしい」という期待にも、当時の基準でバッチリ応えていました。

ただ、当時のお客様が求めていた満足のレベルは、ぶっちゃけ「10あった違和感が6くらいに減った」という段階で十分に満たされていました。

完全には取り切れていなくても、お客様は「もうこれで普段の生活に戻れるから大丈夫、ありがとう」と笑顔でお店を去っていくわけです。

そこがお客様にとっての基準であり、違和感を完全にゼロにするとか、絶対に再発させないとか、そんな発想自体がそもそもありませんでした。

だからこそ、こちらが「根本から整えてぶり返さない身体づくりをしませんか」と提案すると、驚かれて即座に信頼していただけるという流れがあったのです。

こう書くと、「根本から整える」という表現は、まるで「お身体を治療して完治させます」と堂々と宣言しているかのような印象を与えるかもしれません。

しかし、たとえ当時そう表現していたとしても、私自身はお客様が日常生活の営みを滞りなく送れるようになれば、私たちのサポートは一旦役割を終えるという明確な基準を持ってお店を営んでいました。

では、私が当時考えていた「根本から整える」とはどういう解釈だったのか。 腰の不快感や肩の重さは生活習慣から生じるものと言われる通り、結局のところ、お客様が日々の生活の中で無意識に行っている「お身体に負荷のかかる偏った使い方」こそが根本原因です。

ですから、その動きのクセを正すためのアドバイスやチェックという付加価値を提供するだけで十分に目的を果たせました。

私にとって「根本から解決する」とは、施術を医療のような“治療行為”に仕立て上げることではありません。お客様が日常のさまざまなシーンにおいて、お身体に負荷のかからない動き方を身につけられるよう、ホームケアを提案し、確認していくこと。

それ以上でもそれ以下でもありませんでした。だからこそ、私の中にも、違和感を完全にゼロにすることに固執するような発想は微塵もなかったのです。

ところが2008年頃を境に、風潮がガラリと変わり始めます。

現在では広告での使用が厳しく制限されているフレーズですが、当時は「根本から回復させます」といった、状態を完全にリセットすることをお約束するかのような空気が業界全体に強まり始めていたのです。「10あった違和感は0にしなければならない」という強迫観念のようなものです。

それはまるで、先ほどお話しした内科的疾患における“原因排除の完全さ”を、そのまま筋骨格の領域にも持ち込もうとする流れでした。施術者側もお客様側も、一斉にその価値観へと傾倒していったのです。

その結果、少し前までは誰もが満足していた「10を6にする」といった生活基準に合わせた成果が、同業者からは「その場しのぎに過ぎない」と容赦なく批判され、お客様側からも「再発のない完全な状態」を求められるという、息苦しい変化が起こっていきました。

その過熱ぶりは、まるで法的な国家資格を持たない民間療法までもが「正式な医療」の領域に踏み込んでいくかのようであり、ある種の制度的免罪符でも得たのではないかと錯覚しそうなほどの急激な変化でした。

国家資格の有無を問わず、医業類似行為の同業者の誰も彼もが「根本原因が潜む体の部位の特定」や「症状の根本解決」を掲げ、整形外科などによるアプローチや処方薬といった対応を「単なる対症療法に過ぎない」と切り捨てる。

まるで自分たちこそが医療の市民権を得たかのように、声高に叫び始めるという風潮が生まれていたのです。

少し時計を進めると、2009年7月には日本整形外科学会が「寝たきり予備軍(ロコモティブシンドローム)が推計4700万人」という衝撃的な発表を行い、同年9月には鳩山政権が発足します。

膨れ上がる医療費の削減策として、フレイル(加齢による衰え)や運動不足の若者層をあぶり出し、医師や国家資格者へ振り分けて保険適用でリハビリをさせる――本来ならそれだけでいいはずの国が、なぜか民間療法までをも巻き込んだ「統合医療」の議論へと一気に突き進んでいったのは、この記事の前にUPした『医業類似行為業の真実③』で書いた通りです。

国がそこまで動かざるを得なかった背景には、すでに2008年の時点で、現場の顧客や施術者の間で「筋骨格の健やかさ」への需要がそこまで過熱していたという、社会的な下地があったからではないか、と私は見ています。

ただ、幸いにも私はその騒動から一歩離れることができていました。なぜなら、実はこの騒動の前から、私はこの「治す」という言葉の意味そのものを、現場で問い直す必要性に迫られていたのです。

開業して1年半が過ぎ、お店が軌道に乗った2007年1月頃のことです。様々な年代のお客様が訪れる中で、私はある不思議な現象に直面しました。

お身体の不調や違和感を全く訴えなくなったにもかかわらず、「なぜか日常生活のハイスピードについていけず、疲労を溜め込んでしまう」とおっしゃる30代のお客様がいらっしゃったのです。

もしこれが70代・80代のご高齢の方であれば、「不調が消えても、動きがゆっくりなままなのは年齢的に当たり前だ」と納得できたかもしれません。

「不快感さえなくなれば、若い人はおのずと元通り活発に動けるはず」と信じ込んでいた私にとって、不調がないのに動きが緩慢で疲れやすい若者の姿は、大きな謎でした。

そこで私はアプローチを変え、不調そのものには一切手を付けず、その「動きの鈍さ」だけに焦点を当てて、身体本来のスムーズな可動性を取り戻すケアを別個に行ってみました。

すると、日常生活での動きやすさが劇的にスピードアップし、結果として毎日の疲労感もすっきりと解消されたのです。

この経験は、私にある大きな疑問を投げかけました。
「不調が消えるから、元通りの生活に戻れるのか?」
答えは、明確にノーでした。

事実は逆だったのです。
お身体の不快感そのものに直接アプローチしなくても、「身体がスムーズに動く健やかさ」を実現するだけで、お客様はそれまで抱えていた不調のこと自体を忘れてしまう。

つまり、動きのしなやかさを取り戻すことによって、結果的に不調がどこかへ行ってしまうのです。

そして、このアプローチが確信に変わったのは、ある「証明」ができたからでした。

「動きが緩慢で、素早い日常生活についていけないのはトシのせい。年齢には勝てない」

そう信じ込んでいた70代・80代のご高齢のお客様に対しても、この「動きをスムーズにするケア」を施したところ、なんと先ほどの30代のお客様と全く同じ結果を示したのです。

年齢のせいだと諦めていたご高齢のお客様の身体がみるみるスムーズに連動し始め、日常生活が若い頃と同じくらい活発になっていく。

それまではゲートボールの動きについていくのがギリギリだった方が、なんとゴルフを再開できるまでになったり、ハイキング止まりだと言っていた方がトレッキングに挑戦されるようになったり……。

その生き生きとした姿を目の当たりにした時、私はこれこそが、年齢に関係のない「普遍的な人間の健やかさの真実」なのだと確信しました。

動きをスムーズにする。これこそが、まさにウェルネス(輝くような健康状態)です。

そういうことだったのか!と。

これなら、わざわざ医療の領域に踏み込んで「治します!」と大声で言わなくてもいいな、と気づいたのです。

だってそうでしょう。

身体をスムーズに動かすウェルネスケアを受けることで、腰や首の不快感が気にならなくなるだけでなく、ケアを受ける前よりも「動ける身体」を手に入れ、お店を卒業されてからの人生を大きく健やかに謳歌されている。

これって、お客様がイメージしてやまない「治った後の理想の状態」そのものではないですか。

ちょうどその大きな気づきを得た頃と、2009年7月の日本整形外科学会が「寝たきり予備軍(ロコモティブシンドローム)が推計4700万人」という衝撃的な新聞発表が重なり、私は自分自身の中にある「治療」という言葉の定義をアップデートし、新しい基準でお店を経営していこうと決意しました。ホームページの主旨もその方向性へと刷新し、お店を「ウェルネスケア」へと大きく舵を切らせたのです。

そして、経済産業省が管轄する日本標準産業分類において、2013年10月に「リラクゼーション業」が新設・登録されたのを受け、翌年2014年4月、お店の名称をそれまでの医療類似行為業を想起させる『カイロプラクティック プレイズ』から、ウェルネスの思想をより強く打ち出した『骨格矯正院 プレイズ』へと変更いたしました。

最後になりますが、
現在では、人々の健康を実現するウェルネスケアの一翼に、無資格のリラクゼーションやボディケアが明確に組み込まれています。

なぜでしょうか?

もしも、「治す⇒痛みがない状態=健康」という狭い公式のままだったなら、リラクゼーションが入り込む余地はなく、そのポジションはすべて国家資格者による医療や医業類似行為業が独占していたはずです。

しかし、事実はリラクゼーションやエステがこれだけ社会に必要とされ、公的にも産業として認められている。

それはつまり、国家の政策レベルにおいて、「健康とは、単に痛みが消えることではなく、より良く動ける身体(ウェルネス)を実現することである」という『解釈変更』が行われたことに他なりません。

国を動かすトップの政治というのは、時にこうした「ルールの解釈変更」を、閣議決定レベルのスピード感で鮮やかに行うのが得意です。

それと同じダイナミックな定義の書き換えが、実は私たちの業界の裏側でも、公に大々的なアナウンスがされることもなく、静かに、しかし確実に遂行されていたのではないでしょうか。

つまり、【表向きの公式:治す⇒痛みが全くない状態=健康】という従来の建前はそのままに残しながらも、私たちの知らないところで、実質的には【本質的な公式:治す(≒ケアする)⇒動きがスムーズになる=健康】という新たな定義へと、歴史の歯車がカチリと書き換えられていた――。

私には、そう思えてならないのです。

もう、どうでもいいっか! | 昭島でほのぼの生活
経済産業省 令和5年度ヘルスケア産業基盤高度化推進事業(ヘルスケアサービス市場等に係る調査事業)公表版報告書の話題です。