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AIリテラシーやソフトスキルよりも用意しなければならない「最強の資産」とは?

日本人の今ある現実と待ち受ける未来

なぜ私たちは「死ぬまで現役」を求められるのか

今、日本人の「働き方」をめぐる議論が、若い世代からシニア層まで、あらゆる世代で巻き起こっています。

私たちの多くは、ヨーロッパの労働環境に、どこか憧れを抱いているのではないでしょうか。

「定時退社は当たり前」
「長期のバカンスが取れる」
「スペインにはシエスタ(昼休憩)の文化がある」

さらに、医療や教育、福祉制度も充実している国が少なくありません。

その姿を見るたびに、

「それに比べて、日本の労働環境はなぜこんなにも厳しいのだろう」

そう感じたことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし、私はここに大きな誤解があるように思います。

ヨーロッパや北欧諸国の豊かな社会保障や比較的ゆとりのある労働環境は、単に税金が高いから実現しているわけではありません。

もちろん税制や社会制度の違いもありますが、その前提として、多くの国では企業や産業が輸出や海外投資などを通じて国外から大きな富を獲得し、それが経済全体を支える重要な基盤となっています。

その経済基盤の上に税収が成り立ち、社会保障へと再分配されているのです。

実際に、経済産業省『令和6年版 通商白書』を見ると、名目GDPに占める外需(輸出)の割合は、

  • オーストリア:約55~56%
  • ベルギー:約75~79%
  • ドイツ:約40~50%

さらに国内市場が比較的小さい国では、

  • ノルウェー:約47~53%
  • フィンランド:約40~44%
  • スウェーデン:約53~54%
  • デンマーク:約67~68%
  • オランダ:約82~85%

と、世界平均を大きく上回る水準となっています。

もちろん、高い福祉や賃金は外需だけで成り立っているわけではありません。税制、労働生産性、産業構造、天然資源など、さまざまな要素が重なり合っています。

それでも、「国外で富を生み出す力」が経済を支える大きな柱の一つであることは間違いありません。

一方、日本はどうでしょうか。

下図が示すように、日本の外需比率は2005年以降、おおむね15〜18%で推移しています。

2005年からだいたい15%~18%で推移しています。

つまり、日本の経済活動の大部分は、国内の消費や投資といった内需によって支えられているということです。

言い換えれば、日本では国内で働き、国内で所得を生み、国内で消費し、その経済活動を基盤として税金や社会保険料が集められています。

欧州のように国外で大きく稼ぐ経済構造とは、富を生み出す仕組みそのものが異なるのです。

私は、この経済構造の違いが、日本の労働環境や税・社会保険負担にも少なからず影響を与えていると考えています。

だからこそ、日本と欧州諸国では経済の前提条件が異なるにもかかわらず、「労働環境だけを同じ水準にするべきだ」と比較することには、少し無理があるのではないでしょうか。

◆過去のデータが証明する国策の「着実な実行力」

「そうは言っても、国が掲げる方針なんて、本当に実現するのだろうか?」

そう疑問に思う方もいるかもしれません。

しかし、私は過去の財務省のデータを見ていると、国は私たちが気づかないうちに、長い時間をかけながら、自ら掲げた政策を着実に実行してきたように感じます。

例えば、2010年度(平成22年度)の一般会計税収は約41.5兆円でした。

その後、消費税率の引き上げ、所得税収の増加、企業収益の拡大による法人税収の増加など、さまざまな要因が重なり、2025年度には84.2兆円となりました。

わずか15年ほどで、一般会計税収は約2倍の規模にまで拡大しています。

さらに注目したいのが、「国民負担率」の推移です。

国民負担率とは、国民所得に対して税金と社会保障負担がどの程度を占めるかを示す指標ですが、2010年度には38.8%だったものが、近年では40%台後半まで上昇しています。(潜在的国民負担率の2026年度見通しは 48.4%です。)

もちろん、この数字だけを見て、「国が国民からお金を取り続けた結果だ」と単純に結論づけることはできません。

景気や企業業績、賃金、物価、人口構造など、税収や社会保障負担には数多くの要因が影響します。

しかし一方で、私はもう一つの事実にも注目しています。

それは、社会保障制度や税制度について、国が必要と判断した政策は、時間をかけながらも実際に制度として形になってきたということです。

・消費税率の5%→8%→10%への引き上げ

・高年齢者雇用安定法の改正

・短時間労働者への社会保険適用拡大

もちろん、その是非についてはさまざまな議論があります。

しかし少なくとも、「制度は実際に変わってきた」という事実そのものは否定できません。

だから私は、国が現在示している将来の制度改革についても、「まだ先の話だから」と楽観的に考えることはできません。

制度というものは、ある日突然すべてが変わるわけではありません。

少しずつ制度が改正され、それが積み重なることで、気づけば私たちの働き方や暮らし方そのものが変わっている。

過去15年の歩みを振り返ると、私はそのように感じるのです。

◆円安がもたらす歪み──潤う国と大企業、苦しくなる国民

ここまで見てきた「制度が着実に変わってきた流れ」を、私は長引く円安という経済環境が後押ししているように感じています。

もちろん、円安には輸出企業の競争力を高めるなどのメリットがあります。一方で、日本のようにエネルギーや食料を海外から多く輸入する国では、円安は生活コストの上昇という形で私たちの暮らしにも大きく影響します。

本来、円高へ向かえば輸入物価は下がりやすくなり、ガソリンや食品など生活必需品の価格にも一定の抑制効果が期待できます。

1990年代後半以降、実質賃金が伸び悩む時期が長く続いてきた日本では、物価の上昇は家計への負担をさらに重くしているように感じます。

それにもかかわらず、政府が円安を積極的に是正しようとしているようには、私にはあまり見えません。

なぜなのだろう。

私は、その背景には、利益を受ける側と負担を負う側の違いがあるのではないかと考えています。

例えば、物価が上昇すれば、消費税は価格に応じて課税されるため、税収にも一定の影響を与えます。

また、輸出比率の高い企業にとっては、円安は海外で得た利益を円換算した際の収益を押し上げる要因となり、企業業績や株価を支える一因にもなります。

一方で、その恩恵を直接受けられない多くの家庭では、食料品やエネルギー価格の上昇という形で、毎日の生活費だけが着実に増えていきます。

さらに、日本銀行が長く続いた超低金利政策を見直し、政策金利の正常化を進めれば、住宅ローンの変動金利にも影響が及ぶ可能性があります。

住宅を購入した家庭にとって、毎月の返済額が増えれば、その負担は家計に直接のしかかります。食費や光熱費の値上がりに加え、住宅ローンまで重くなれば、自由に使えるお金はさらに減ってしまいます。

もちろん、為替は金融政策や各国の金利差、世界経済、地政学的リスクなど、さまざまな要因が複雑に絡み合って動いています。現在の円安を一つの理由だけで説明することはできません。

それでも私は、円安によって利益を得る主体と負担を負う主体がこれほど明確に分かれている状況では、生活者の立場から見れば「物価を下げてほしい」という声よりも、「現在の仕組みを維持する力」のほうが働きやすいのではないかと感じています。

経済全体を見ればプラスに映る出来事でも、家計という視点から見ると必ずしもそうとは言えません。

私は、そこに現在の日本経済が抱える大きな歪みを感じています。

国際的に見れば、ドルが国際決済の中心であることから、資源価格や為替変動はアメリカ経済にも少なからず影響を与えます。ただ、そのことだけで日本の円安を説明できるほど、国際経済は単純ではありません。

それでも、日本の家計が物価高に苦しみ続ける一方で、企業業績との間に温度差が生まれている現状を見るたびに、この円安は誰のために続いているのだろうと、私は考えてしまうのです。

◆AI時代になっても「人手」が足りないリアル

「AIが進化すれば、人は今ほど働かなくてもよくなる。」

そんな未来を思い描いた人も少なくなかったでしょう。

しかし、現実の日本で起きているのは、それとはまったく逆の現象です。

社会全体では、かつてないほど深刻な人手不足が続いています。

その理由は、日本の仕事の多くが、AIだけでは代替できない分野に集中しているからです。

現在、日本の就業者の約7割以上は、介護・医療、物流、建設、飲食、小売など、いわゆるサービス業(第三次産業)で働いています。

AIは資料作成やデータ分析、文章作成などのオフィスワークを大きく効率化し始めています。しかし、荷物を運ぶ人、高齢者を介助する人、建物を造る人、食事を提供する人など、私たちの日常生活を支える現場の仕事まで完全に置き換えることは、今のところ現実的ではありません。

そして、そこへ追い打ちをかけるように、日本では歴史上最大の人口の塊である「団塊の世代」(約800万人)が、すべて75歳以上の後期高齢者となりました。

現役時代に社会を支えてきた膨大な労働力が第一線を退き、その穴を埋めるだけの若い世代は、人口そのものが大きく減っています。

つまり、日本が直面している問題は、「AIが仕事を奪うこと」よりも、「社会を支える人が足りないこと」なのです。

オフィスではAIによって業務の効率化が進んだとしても、社会インフラを支える現場では、人がいなければ仕事そのものが成り立ちません。

私は、この現実こそが、日本の人手不足の本質なのではないかと考えています。

そして、この慢性的な人手不足を補うため、一人ひとりに求められる仕事の量や役割は、これからさらに大きくなっていくのではないでしょうか。

◆「一億総就業」への包囲網と増え続ける国民の負担

労働者が減り、円安による物価高が家計を圧迫する中、日本では「できるだけ多くの人に、できるだけ長く働いてもらう」という方向へ、制度が少しずつ変化してきたように私は感じています。

高年齢者雇用安定法の改正による70歳までの就業確保、年金の受給開始を最大75歳まで繰り下げられる制度、さらには短時間労働者(パート・アルバイト)への厚生年金適用拡大など、その対象は年々広がっています。

もちろん、それぞれの制度には、高齢化社会を支え、将来の社会保障制度を維持するという目的があります。

しかし、それらを一つひとつではなく全体の流れとして眺めてみると、「より多くの人に、より長く働いてもらう社会」を目指しているようにも見えてきます。

その一方で、私たち一人ひとりが実感する負担は、決して軽くなっているとは言えません。

・社会保険料は引き上げが続き、現役世代もシニア世代も、給与や報酬から差し引かれる金額は増えています。

・年金は、マクロ経済スライドなどの仕組みにより、将来受け取れる実質的な購買力が低下する可能性が指摘されています。

・医療では、高齢者の窓口負担割合の見直しが進み、一定所得以上では2割、3割負担となるケースも増えました。

こうした変化を見ていると、「働く期間は長くなる一方で、負担は増え、受け取れるものは実質的に減っていく」という印象を抱く人がいても、不思議ではないでしょう。

もちろん、こうした制度変更は、日本の財政や社会保障制度を維持するために行われているものです。

それでも私は、国民を支える制度というよりも、国民が制度を支え続ける仕組みへと少しずつ重心が移ってきているように感じます。

実際、「負担は増えるのに、もらえるものは減る」と感じる人が少なくないことも、その背景にあるのではないでしょうか。

こうして働く期間が長くなり、一人ひとりに求められる役割も増えていく時代に、私たちは意識することなく配置されているのかもしれません。

◆横たわる「健康寿命の壁」とセルフメディケーションの矛盾

しかし、ここに決定的な「矛盾」が横たわります。

厚生労働省のデータによると、日本の健康寿命(日常生活に制限なく生活できる期間)は、男性が約71歳、女性が約74歳です。

一方で、国や法律は「75歳まで働ける(働くことが期待される)社会」の実現に向けて制度を整えつつあり、厚生年金の加入上限の見直しも、その流れの一つと考えられます。

つまり、75歳まで働くことを前提とした制度が整えられていく一方で、日本人の健康寿命は、必ずしもその前提に追いついているとは言えません。

この「制度が求める年齢」と「身体が現実に動ける年齢」との間に横たわるギャップこそが、これからの時代に私たち一人ひとりが向き合わなければならない、大きな課題なのではないでしょうか。

こうした状況の中で、近年、国が積極的に推進しているのが「セルフメディケーション(自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること)」という考え方です。

一見すると、「自分の健康を自分で守る」という前向きな取り組みのように聞こえます。しかし、医療費の増加や社会保障制度の維持という背景まで含めて考えると、その意味合いは少し違って見えてきます。

これまでは、「少し体調が悪いから病院で診てもらい、自分に合う薬を処方してもらおう」という選択が比較的当たり前でした。そこでは、症状を診断し、どの薬が適しているかを判断する役割は医師が担っていました。

しかし、セルフメディケーションが推奨される時代になると、「まずは自分で判断し、市販薬を活用してください」という考え方へと重心が移ります。

問題は、その判断を誰が行うのかということです。医療の専門知識を持たない私たちは、自分の症状に本当に適した薬を選べるとは限りません。改善しなければ結局は医療機関を受診することになり、その間に時間や費用が余分にかかることもあります。

つまり、セルフメディケーションとは、単に「市販薬を活用しましょう」という話ではなく、これまで医療が担ってきた判断の一部を、私たち一人ひとりが引き受けることを意味しているとも言えるのです。

こうした流れを社会全体という視点で眺めてみると、その背景には医療費の増加や社会保障制度を維持していくという課題があります。

社会保障制度を維持するために「長く働き、長く納税すること」が求められる一方で、「できるだけ病気にならず、医療費を抑えること」もまた、一人ひとりに求められる時代になりつつあるのです。

言い換えれば、制度は75歳まで働くことを前提に整えられつつある一方で、その年齢まで健康に働き続けられる身体を維持する責任は、私たち自身に委ねられ始めているとも言えるでしょう。

だからこそ、セルフメディケーションという考え方が重視されるようになったのでしょう。

しかし、それは単に健康意識を高めましょうという話ではありません。

制度が求める75歳までの就労と、現実の健康寿命との間にあるギャップを、一人ひとりが自ら埋めていくことを求められる時代になった――。

セルフメディケーションという言葉の背景には、そんな社会の大きな変化が静かに横たわっているのかもしれません。

◆私たちが突きつけられている「現実」

こうして考えていくと、少し皮肉な結論にたどり着きます。

これからの時代を生き抜くためには、AIを使えることが大切だと言われます。

ITスキルやAIリテラシーも必要でしょう。
チームワーク・リーダーシップ・コミュニケーション能力や
問題解決力といった人間力に関わるソフトスキルも必要でしょう。
資格も必要でしょう。
専門知識も、金融資産も、もちろん大切です。

しかし、それらすべてを生かすためには、一つだけ絶対に欠かせないものがあります。

それは、

「自分の身体が動くこと」です。

どれほど高度なITスキルを身につけても、身体を壊して働けなくなれば、その能力を生かすことはできません。どれほど立派な資格を持っていても、通勤する体力も、一日働き続ける体力もなければ、その資格を発揮することは難しくなります。

そう考えると、これから私たちが用意しなければならない「最強の資産」とは、肩書でも、出世でも、最新のITスキルでもないのかもしれません。

・70代になっても、自分の足で歩けること。
・働こうと思えば働けること。
・旅行へ行こうと思えば出かけられること。
・自分の食事を自分で用意できること。
・そして、自分の人生を、自分の身体で最後まで動かしていけること。

つまり、

「長く動き続けられる身体」そのものです。

日本には昔から、

「身体が一番の資本。頼りになるのは、いつでも自分の健康」

という言葉があります。

まさにその通りです。

しかし、これからの時代は、その言葉の意味をもう一歩深く考える必要があるのかもしれません。

かつて「老後への備え」といえば、真っ先に思い浮かぶのは貯金や年金でした。

もちろん、それらは今でも重要です。しかし、これからは金融資産だけを積み上げていれば安心できる時代ではないのかもしれません。

70歳、75歳になったとき、通帳にいくら残っているか。

それと同じくらい、

「自分の身体に、どれだけの健康を残せているか」

が問われる時代になるでしょう。

お金は老後のために毎月少しずつ積み立てるのに、身体の健康は老後のために積み立てようとは、なぜかあまり考えません。

しかし、身体も資産づくりと同じです。

筋力も、体力も、骨格の機能も、一日で手に入るものではありません。毎日の食事、睡眠、運動、休養、そして日々の生活習慣。その積み重ねが、十年後、二十年後の身体をつくっていきます。

健康とは、若いうちから少しずつ積み立てていく「身体資産」と考えることもできるのではないでしょうか。

国の制度を、私たち一人ひとりが変えることは簡単ではありません。人口構造も、社会保障制度も、円相場も、自分一人の力ではどうにもならないでしょう。

しかし、自分の身体に何を積み立てるかは、ある程度まで自分自身で選ぶことができます。

これから待っているのが、本当に「死ぬまで現役」に近い社会なのだとしたら――。

私たちが若いうちから積み立てておくべき最大の老後資産は、銀行口座の数字だけではありません。

最後まで自分の人生を支えてくれる、自分自身の身体です。

身体は、単なる「資本」ではありません。

人生という長い時間を支え続ける、かけがえのない「資産」なのです。

なぜ、今なのでしょうか?

なぜ今、「75歳まで働くこと」を前提とした制度や法律が、これほど急速に整備されているのでしょうか。

私は、その背景には団塊ジュニア世代の存在があるように感じています。

団塊ジュニア世代は、およそ800万人。団塊の世代に匹敵する人口規模を持つ世代です。私自身も、その一人です。

もちろん、これは私個人の見方に過ぎません。しかし、団塊の世代が一斉に退職した後も、人手不足は十分に解消されたとは言えません。むしろ、多くの業界で深刻化しています。

そうした中で、現行制度のままであれば、数年後には団塊ジュニア世代も順次、定年や引退の時期を迎えます。

国として、この規模の労働力が一気に現場から離れることを、何の対策もなく見過ごすとは考えにくいのです。

だからこそ、定年延長、継続雇用、リスキリング、セルフメディケーション、そして社会保障制度の見直しなど、さまざまな制度が同じ方向を向いて動き始めているように、私には映ります。

経済という視点で見れば、その理由も理解できます。

日本は人口減少社会に入り、日本の経済規模のたった15%にしか過ぎない外需(輸出)だけに依存して国を支えることは難しい状況です。社会保障費は増え続け、現役世代は減り続けています。

そうした中で政府に求められるのは、国民生活を守ることと同時に、社会保障制度や財政を持続可能なものにしていくことです。

そのためには、一人でも多くの人が長く働き、税や社会保険料を納め続けられる社会を目指そうとするのは、政策としては自然な発想なのかもしれません。

しかし、その制度が本当に機能するかどうかは、一つだけ大きな前提があります。

75歳まで働き続けられる身体があること。

制度は法律で整えることができます。

けれど、健康な身体だけは、法律でつくることはできません。

だから私は、この記事を通して一つだけお伝えしたかったのです。

これからの時代、人生で最も価値ある資産は、お金でも肩書でもありません。

最後まで、自分らしく動き続けられる身体です。