武器より怖い「食べ物」
『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観ていて、私はふと、以前、新潟県内のある市の博物館で見た企画展のことを思い出しました。
企画展のテーマは、「飴(あめ)・糖(あめ)・あめ」。米や粟などの穀物に麦芽を加え、デンプンを糖化させて飴を作るという、日本古来の甘味の歴史にスポットを当てた展示でした。そこで私の目に留まったのが、『日本書紀』に記された飴にまつわる言葉です。
「飴ができれば、武力を使わずに天下を平定できる」
これは、飴ができることそのものが、武力によらず天下を平定できることを示す、神意のしるしとして解釈されています。しかし、飴の歴史を扱った展示の中でこの言葉を見た私は、どうしても別のことを考えてしまいました。
甘いものには、人を動かす力があるのではないか。
もちろん、『日本書紀』が「甘いものを与えれば人民を支配できる」と書いているわけではありません。これは、飴の歴史を眺めていた私自身が、そこから連想したことです。
考えてみれば、食べ物は人間にとって単なる栄養ではありません。
お腹が空けば食べたくなり、甘いものを食べれば嬉しくなりますし、おいしいものを与えられれば、それだけで相手に好意を持つこともあります。
このように考えると、食べ物には人間の身体だけではなく、感情や欲望を動かす力もあり、その力が社会の仕組みと結びついたとき、食べ物は単なる「食」ではなく、人を動かす道具にもなり得るのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、私は西洋の歴史にも目を向けました。
例えば砂糖です。
ヨーロッパで砂糖の需要が拡大する一方、カリブ海や南米では砂糖プランテーションが巨大化し、その生産を大量の奴隷労働が支えていました。
スミソニアン国立アメリカ歴史博物館も、18世紀半ばまでにイギリス・フランスのプランテーションが世界の砂糖生産の中心となり、そのシステムの中心に数百万人規模の奴隷労働があったことを説明しています。
では、なぜ、砂糖の生産のためにこれほど多くの労働者が24時間働き続けたのか。
一説によれば、働き終えた労働者には、砂糖たっぷりの一杯のコーヒーを飲むことが一日の報酬の中にあったといいます。この一杯の甘いコーヒーのために、労働者は24時間一生懸命働いたともいわれています。
もちろん、この一例だけをもって「甘いものは人を支配する」と結論づけることはできません。
しかし私は、食べ物には人間を幸せにする力だけではなく、人間の欲望を動かす力もあるということを、歴史の中から感じるのです。
そして、そんなことを考えていたからでしょう。 『ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観た私は、あの博物館で見た「飴」という文字を思い出してしまいました。
映画を観た人の感想を読んでいると、「結局、誰が悪かったのか」という問いに対して、さまざまな解釈があることに気づきます。
セイレーンが悪いのか、島民が悪いのか、フタバをめぐる出来事が悪かったのか、あるいは復讐の連鎖そのものが悲劇を生んだのか。
映画の物語は、島に隠された「本当のひみつ」へと観客を導きながら、さまざまな憶測を許す構造になっています。
公式の作品紹介でも、島民から歓迎されたちいかわたちが、セイレーンによる島民の連れ去りと討伐計画に巻き込まれていくことが示されています。
しかし、私はここで少し違うところから考えてみたいと思いました。
そもそも、この悲劇は一体どこから始まったのだろうか。
物語の直接的なきっかけをたどれば、セイレーンがフタバに瀕死の重傷を負わせる事故を起こしたことが、その始まりだったと考えることができます。
そこから復讐が始まり、その復讐がさらに新しい悲劇を生み、島民たちが次々と食べられてしまう事件へとつながっていきます。
しかし、私はもう一つ、さらに手前にあるものに目を向けてみたいのです。
セイレーンが、そのような性格になったのは、いったいいつからだったのでしょうか。
もし映画の中で描かれる食生活の変化とセイレーンの変化を、一つの物語として読むなら、そこには別の「始まり」が見えてきます。
食べ物が変わり、食べ方が変わり、食べることで得られる快楽まで変わっていった。もしそうだとすれば、悲劇の根源を、登場人物の誰か一人に求める必要はないのかもしれません。
もしかすると、諸悪の根源は「食」そのものだったのではないか。そう考えるきっかけとなる描写が、映画の中にはいくつかあるように思えます。
ここは少し大胆に、この映画を「食」という視点から、悲劇の始まりの謎を読み解いてみたいと思います。
ここで、私は少し怖いことを考えました。
もし、食性がその土地で暮らす人々の身体や生活文化を、何世代にもわたって形づくってきたのだとしたら、食性が変わるということは、その人々自身が変わってしまうことではないのか。
もちろん、食べ物だけで民族の人格や性格が決まるという話ではありません。これは、あくまでも私がこの映画を観て抱いた一つの仮説です。
しかし、日本人が何千年という時間をかけて形成してきた食文化を考えたとき、その食生活が、わずか数十年という短い期間で大きく変化したことには、私はもっと注意を向けてもいいのではないかと思うのです。
ハンバーガーやホットドッグが悪い、と言いたいのではありません。
それらが長い歴史の中で食文化として根づいてきた地域と、日本のように比較的短期間で大量に普及した地域とでは、同じ食べ物でも、その意味は違うのではないでしょうか。
特に、幼い頃から何を食べて育つのかということは、その後の食習慣や身体のあり方にも影響することを、少なくとも私たち自身の生活を振り返れば想像できます。
そう考えると、食生活が変化した後にセイレーンの振る舞いまで変わっていく、この映画の描写が妙に気になってきます。
もしかすると、セイレーンの変化は、「食べ物が変わったことによる、もっと大きな変化」の象徴なのではないか。
さらに、インターネット上には、この映画を現代の日本社会や政治への風刺として読み取る感想も見られます。
それが映画制作者の意図なのかどうか、私には分かりません。
しかし、さまざまな読み方が許される作品だからこそ、私も自分なりの読み方をしてみたいと思いました。
そして、そこから出てきたのが、かなり過激なこの考えです。
民族を変えようと思ったら、政治を変えるより先に、食卓を変えればいい。
これは歴史的事実を述べているのではなく、映画を観て、食の歴史を考えてきた私が個人的に抱いた、少し怖い仮説です。
しかし、もし食が人間の身体だけでなく、生活習慣や価値観、さらには文化の形成にまで関わっているのだとしたら、食卓を変えることは、単に「何を食べるか」を変えること以上の意味を持つのかもしれません。
そう考えてしまうと、あの島で起きた悲劇も、少し違って見えてきます。
では、いったい何が変わったのか。
そして、その変化は、いつ始まったのか。 ここから、映画の中の「食」を一つずつ追ってみたいと思います。
島民と出会った頃のセイレーンは、少なくとも私には、島民に協力的で、明るく、どこか優しささえ感じられる存在に見えました。
ところが、フタバに瀕死の重傷を負わせる事故を起こしたあたりから、その印象が大きく変わっていきます。
近くにはヒトハとフタバのボートがいる。
当然、視界に入っていたはずですし、ボートを壊した感触もあったはずでしょう。
それなのに、セイレーンの反応は、「なにかに当たったかな……まあ、いいか」という言葉。
私はここに、単なる「悪意のない無邪気さ」とは少し違う、他者に対する感覚そのものが鈍くなっているような変化を感じました。
そして、その後のセイレーンは、さらに変わっていきます。
島民を食べ、犯人が名乗り出るまで他の島民を食べ続け、犯人が見つかれば、その身体にぴったり合う檻を作り、海の深い、光の届かない場所に永遠に閉じ込める。復讐という言葉だけでは片づけられないほどの、残酷な発想です。
ところが、その変化を追っていく途中には、ハンバーガーやホットドッグを食べる場面が挟まれています。
これは映画の演出を私が勝手に結びつけているだけかもしれませんが、セイレーンが食べたものによって性格が変わった、という設定が明示されているわけでもありません。
それでも、私はどうしても考えてしまうのです。
もうかなり前からですが、砂糖や、植物性や動物性を問わず脂質の過剰摂取は、身体のだるさを引き起こしたり、関心や意欲といった精神を低下させる、うつ傾向に導く作用が示唆されていたこともありますし。
なので、もし、食べ物が人間の身体だけではなく、その人の行動や感情にまで影響するとしたら。
もし、長い時間をかけて形成されてきた食性から大きく外れた食生活を短期間に取り入れたとしたら、その影響は身体だけにとどまるのでしょうか。
もっと目に見えにくいところ、たとえば他者への気遣い、お互い様という感覚、我慢する力、争いを避ける感覚、周囲の空気を読む感覚といったものまで、少しずつ変わってしまう可能性はないのでしょうか。
しかし、セイレーンの変化を見ていると、私は一つの怖い想像をしてしまいます。
かつては他者を気遣い、穏やかに暮らしていた存在が、ほんの短い時間のうちに、他者の存在に鈍感になり、自分の欲望だけを優先し、最後には残酷な復讐まで平然と考える存在へ変わってしまう。
もしこの変化を、食生活の変化と重ねて読むことが許されるのなら、食には、人の精神そのものをそっくり変えてしまうほどの力があるのではないか。
そして、もしそうなら。
私たちは、いったい何を食べてきたのでしょうか。
何を食べるようになったのでしょうか。
そして、何を食べなくなったのでしょうか。 この疑問を考えるために、私は日本人の食性を、もっと長い時間の中で見てみたいと思います。
私が映画を観ていて気になったのは、島の食生活が、単純な農耕生活から、より効率的に食べ物を生産し、消費する方向へ変化しているように見えることでした。
ここを現代社会に重ね合わせてみます。
もし、ある力によって作物が今までより早く育つようになったとしたら、それは素晴らしい技術革新です。
収穫までの時間が短くなり、たくさん作ることができ、安定して食べられるようになれば、人々は豊かになります。
しかし、その一方で、「早く作れるもの」は、「早く食べられるもの」を求める社会と相性がいいのです。食料生産の効率化が進めば、食べる側にも効率が求められるようになる。
短時間で食べられ、すぐ満腹になり、すぐ満足できるもの、そして、より強い味、より強い甘味、より強い脂の満足感へと向かっていく。
私は、この変化を現代社会の食文化と重ねて見てしまいました。
ファストフード、ジャンクフード、甘い菓子、脂の多い食品、精製された炭水化物。もちろん、これらを食べたから人間が悪い人間になる、などという単純な話ではありません。
ただ、「すぐ食べられて、すぐ満足できる食べ物」が社会の中心になったとき、食べ物そのものの役割も変わっていくのではないか。そのような疑問です。
そして映画の中では、セイレーンに食べさせる食べ物も、いつの間にかハンバーガーやホットドッグのようなものになっていきます。
ここにも、私は象徴的なものを感じました。
最初は「食べるための食べ物」だったものが、いつの間にか「欲望を満たすための食べ物」へと変わっている。
そして、それを食べる側も変わっていく。
食べ物が変われば、人間も変わる。もしそうなら、セイレーンの性格が変化していったと考えることもできるように思えます。
セイレーンは自分の能力を提供することで、野菜や果物を安定的に生産していました。
当然、はじめは、まともな食生活をしていたのでしょう。
それは、セイレーンが島民と交流をもっているシーンを見た限りでは、他者が存在することを感じない、周囲が見えない感覚はなかったように見えますし、ましてや異常なほどの残虐な性格を隠し持っているようにも思えないのです。
もし、食が人間を変えるほどの力を持っているのだとしたら、私たちは、自分たちが何を食べているのかを、もっと真剣に考えてみてもいいのではないでしょうか。
日本人が長い歴史の中で培ってきた食生活には、日本人の身体や暮らしに適応してきた、いわば「日本人の適応食」とでも呼べるものがあるのではないでしょうか。
日本列島という環境の中で、何を育て、何を採り、何を保存し、何を主食とし、どのようなものを組み合わせて食べるのか。
それを何百年、何千年という時間をかけて繰り返してきたのなら、その食生活と身体の間には、少なくとも無視できない関係が生まれていても不思議ではないと思うのです。
ところが、もしそうだとすれば、ここには非常に興味深いことがあります。
食性をつくるには途方もない時間が必要なのに、食性を変えることによって健康を崩していくのは、驚くほど短い時間で起こり得るのではないか。
つまり、何百年、何千年という時間をかけて培われてきた食生活を、わずか数十年の間に大きく変えてしまえば、身体の側から見れば、それはあまりにも急激な変化なのかもしれません。
「適応できない食事を続けたから、健康を損なった」という見方も、仮説としては成り立つのではないでしょうか。
考えてみれば、私たちは昔から、似たようなことをことわざで表現してきました。
「朱に交われば赤くなる」人は、長く身を置く環境の影響を受けて変わっていく。
「信頼を築くには長い時間が必要だが、失うのは一瞬」という言い回しもあります。積み上げるには時間がかかる。しかし、崩れるときは早い。
身体に馴染んだ食文化をつくるには、長い時間が必要だった。しかし、その食文化を壊すのには、それほど長い時間を必要としないのかもしれません。
もちろん、ことわざが食性について語っているわけではありませんが、「人間は環境によって変わる」「積み上げには時間がかかるが、崩れるのは早い」という人間社会の感覚は、食生活の変化を考えるときにも、どこか重なって見えてきます。
そして、ここで一つの問いが生まれます。
日本人が健康を失い始めたのは、病気が増えたときからだったのでしょうか。
それとも――
そのもっと前に、私たちが「何を食べるか」を変え始めたところから、すでに始まっていたのではないでしょうか。
もしそうだとすれば、健康問題を考えるときに、病気や運動不足、睡眠不足、ストレスだけを追いかけていても、本当の始まりにはたどり着けないのかもしれません。
もっと手前にある、毎日、口に入れているもの。何を主食にして、何を副菜とするのか。
もしかすると、健康を失い始めた最初の一歩は、「病気になったこと」ではなく、「食性を変え始めたこと」だったのではないか。私は、そのような仮説を持っています。
そして、この仮説を考えるためには、現代の食卓だけを眺めていても足りません。
・私たちは、そもそも何を食べてきた民族なのか。
・何を食べることで、この日本列島で何千年もの時間を生きてきたのか。
そして、
・いつから、何を食べなくなり、何を食べるようになったのか。 そこまで時間を巻き戻してみる必要がありそうです。
日本人の食性を考えるとき、私は縄文時代まで視野を広げる必要があると考えています。
その理由は、日本列島では想像以上に早い時代から、高度な生活文化が築かれていたことが分かってきたからです。
例えば、北海道では約9000年前の漆器が発見されています。さらに、縄文時代には高度な漆工技術が存在し、遠く離れた地域との文化交流も確認されています。
火焔型土器や水煙文土器を見ても、それらは単なる日用品というより、高い芸術性を備えた工芸品としての側面があります。
こうした文化は、毎日食べ物を探すだけで精一杯の社会からは生まれにくいでしょう。
一定の食料が安定して確保され、人々に時間的な余裕が生まれたからこそ、芸術が育ち、文化圏が形成されていったのではないでしょうか。
そして文化が成熟すれば、食もまた文化になります。人は単に空腹を満たすためだけに食べるのではなく、「どのように食べるか」を考えるようになります。
また、縄文時代には魚介や獣肉を焼く、煮るといった調理だけでなく、植物のアク抜きや保存技術も発達していました。
ここで、私は少し前に実際に体験したことを思い出します。 先日、旅行で岩手県宮古市を訪れ、崎山貝塚縄文の森ミュージアムで、縄文クッキーづくりを体験してきました。

私がそこへ行ってみようと思ったきっかけは、縄文時代の遺跡からクッキーのような出土品が見つかっていることを知り、そこから、縄文時代にはすでにある程度確立された食文化が存在していたのではないか、ということに興味を持ったからです。
実際に体験してみると、単なる「昔の食べ物を再現する」という印象とは少し違いました。
使った材料は、くるみ、栗、どんぐり粉、卵黄、蜂蜜、ラードなどで、いずれも当時には存在していたとされる食材です。
なかでも私が驚いたのが、どんぐりのアク抜きでした。
話をお伺いすると、どんぐりは、アクさえ抜けば食べることができますが、縄文時代の方法を再現してアク抜きをすると、なんと一週間もかかるものだということでした。
単に水に浸しておけば済むというものではなく、食べられる状態にするために、かなり手間のかかる工程を必要としていたのです。
また、福井県の博物館の展示にあったことですが、縄文時代の煮炊きには、単に火を通すだけでは食べられないものを、食べられる状態にするための技法が確かに存在していたといいます。
そう考えると、縄文時代の食は、単に自然の中にあるものを採って食べるだけではなく、食材を加工し、アクを抜き、煮炊きし、保存するといった、食に関する知識と技術が積み重ねられていた可能性が高いように思えてきます。
そして、食において、それなりの質量がなければ空腹を満たすことはできません。
現代でいえば、その役割を大きく担っているのが「米」ですが、縄文時代には現在のような水田稲作による米の大量生産が一般化していたわけではありません。
米以外の穀物の栽培が行われていた形跡があるとはいえ、穀物だけで食の質量を確保するよりも、自然の山に大量に実るどんぐりや栃の実、カヤの実などを利用して食料を確保するという方向へ考えが進むのは、自然なことだったのかもしれません。
少し前に津南を訪れたとき、栃の実が秋の収穫から、実際に食べられる粉として利用できるようになるまで、翌年の春までかかるという話を聞きました。
そこには、気が遠くなるような時間と、緻密な工程がありました。

江戸時代後期、越後国魚沼(現在の新潟県南魚沼市周辺)の豪雪地帯における自然、生活、民俗、伝承を活写し、江戸の大ベストセラーとなった『北越雪譜』を鑑賞しながら、伝統的な調理法で作られた現代の食事をいただいた施設で、栃の実餅の伝統的な製法について話を伺いました。
そこで、その製法が新潟県などの博物館で見た縄文時代の製法とよく似ていることを知り、現代に残る食の技術の中に、縄文時代から続く知恵の一端が受け継がれていることを学びました。

そうした食材を食べるための方法を何度も試し、季節ごとの食材を加工し、保存し、次の季節へつないでいく。
その積み重ねが、長い時間をかけて食文化を形成していったのではないでしょうか。
ただ、こうした地方への訪問や、実際の料理作りの体験だけで、現代の和食のように体系化された料理文化が縄文時代に完成していたと断定することはできません。
しかし、食材を加工し、保存し、調理し、食べるという生活文化が、非常に長い時間をかけて積み重ねられてきたことを、私は実感として強く感じました。
私は、このような生活文化の積み重ねが、日本人の食性を考える上で重要なのではないかと考えています。
その中でも、私が特に注目したいのが「米」です。
農林水産省によれば、日本では縄文時代後・晩期には水田稲作が行われていた可能性が高く、弥生時代以降、本格的な水田稲作が各地へ広がりました。
日本のモンスーン気候は、田植えの時期に雨があり、夏に高温・日照が得られ、稲の生育に適した環境を備えていました。
つまり、米は単に「外から入ってきた食べ物」ではありません。日本列島の気候風土の中で栽培され、長い時間をかけて生活の中心に組み込まれていった食べ物です。
米は主食になり、米から酒ができ、米を使って餅を作り、米と魚を組み合わせて発酵させる。
さらに、米を中心に祭りや儀礼も形成されていきます。
農林水産省も、稲作が広がることで日本人の生活が狩猟・採集中心から農耕中心へ変化し、米が主食だけでなく祭祀や経済活動とも深く結びついていったことを説明しています。
ここに私は、大きな意味があると思っています。 日本人の食性を考えるなら、「現在、何を食べているか」だけを見るのではなく、「何を、どれだけ長い時間、食べ続けてきたのか」を見る必要があるのではないでしょうか。
米が支えた社会
このことを考えるとき、私は古墳時代の巨大古墳にも目を向けたくなります。
日本には世界最大級の陵墓である仁徳天皇陵があります。
全国には膨大な数の古墳が残され、その築造には非常に大きな社会的・経済的基盤が必要でした。
大林組が古代工法で仁徳天皇陵を築造すると仮定して試算した結果、総工期は15年8ヶ月、総工費は796億円、延べ動員人数は約680万7,000人です。(ちなみに、黒部ダムの場合は、総工期7年、総工費は513億円、延べ動員数は約1000万人です。)
この巨大な陵墓を見れば、一つの疑問が生まれます。これだけの巨大事業を成立させるために、当時の社会は、いったいどれほどの食料生産力を持っていたのだろうか。
工事をする人間がいて、その人間の家族がいる。農作物を作る専門の人間がいて、大量生産のための農地や河川を整備する人間がいる。
実際、古墳建設の時期には、同時に茨田の堤も整備されています。当時の淀川(古川などの分流)の流路に沿って、20kmを超える長さにわたって築かれたといいます。
こうした大規模な治水事業が古墳建設と同時進行で行われていたと考えると、仁徳天皇陵の建設だけを見ても、実際に動員された人間は1000万人を超えていたのではないかと推測できます。
さらに、その人々に食料を運ぶ人間や、工事に必要な道具を作る人間なども必要になります。
巨大な国家事業を可能にするには、膨大な人口を、その人口を16年近く支える農業生産力が必要だったはずです。その労働を支える食料が、ひえやあわなどの雑穀だけだったのだろうか。
私は、ここに一つの疑問を持っています。
もちろん、古墳時代の庶民がどの程度、どのような割合で米を食べていたのかを、巨大古墳の存在だけから証明することはできません。
しかし、古墳時代に建設された古墳の数は全国で16万基にも及びます。
日本よりも国としての面積が大きいエジプトで発見されているピラミッドが約140基だとすれば、16万もの古墳を次から次へと建設するためには、いったいどれほどの食料が確保されていなければならなかったのでしょうか。

長期間にわたって大量の人口を支える農業生産力を考えたとき、過酷な力仕事を支える高カロリーの米を中心とした稲作が重要な位置を占めていた可能性を考えることは、決して無理なことではないでしょう。
さらに、縄文時代後・晩期まで遡る稲作の存在を考えれば、日本列島では非常に長い時間をかけて稲作文化が形成されてきたことになります。
農林水産省も、縄文時代後・晩期の水田稲作の可能性と、弥生時代以降の急速な広がりを示しています。
私は、この「千年以上」という時間に大きな意味があると考えています。 人間の食性は、一世代や二世代で形成されるものではありません。
もし日本人が千年以上にわたって米を主食とする暮らしを続けてきたのであれば、その長い時間の中で、「米を中心とした身体」が育まれてきたと考えることは、決して不自然ではないでしょう。
そもそも、なぜ日本で米が広がったのでしょうか。
そこには、日本列島の環境があります。夏に雨が多く、水が豊富にあり、高温になるため、稲を育てることができる。
そして、収穫した米は保存できます。農林水産省も、日本の気候風土が稲作に適していたことに加え、米が安定した収穫量と保存性を持つことなどを、稲作定着の背景として説明しています。
つまり、日本人の食文化は、人間が勝手に好きな食べ物だけを選んで作ってきたわけではありません。
その土地で育つもの、保存できるもの、手に入りやすいもの、加工できるもの、季節に合わせて食べられるもの。
そうした条件の中で、何世代にもわたって食べ方が選ばれ、残され、工夫されてきたのです。 私は、その何世代にもわたって積み上げられた食文化が、「食性」を考えるときに重要な視点なのではないかと思います。
ところが、日本人の食生活にも、セイレーンの変化を思わせるような、大きな転換が起きています。
もちろん、これは映画のセイレーンと現実の日本人を同一視する話ではありません。
あくまで「食性の変化が、人間にどのような影響を与えるのか」という先ほどの疑問を考えるための比較です。
日本人は、何千年という長い時間をかけて、日本列島の環境の中で食文化を形成してきました。
米を作り、魚を獲り、山で木の実や野生動物を得て、豆を育て、野菜を食べ、海藻を利用する。そして、発酵させ、乾燥させ、保存し、季節に応じて食べる。
そうした食生活が、何世代にもわたって繰り返されてきました。
ところが、近代以降、その食生活は大きく変わります。
明治以降、西洋文化が流入し、戦後になると、その変化はさらに加速します。
小麦を中心とした食品が増え、植物性油脂を多用する食品が増え、乳製品が普及し、砂糖を多く含む食品が増え、加工食品や外食産業が発達しました。
そして、ハンバーガーやホットドッグのような食文化も、日本人の生活の中へ急速に入り込んでいきました。
これらが悪い、と言っているのではありません。食文化は常に変化するものです。
しかし、ここで一つ考えてみたいのです。
何千年という時間をかけて形成されてきた食生活が、わずか数十年という時間の中で大きく変わったとしたら、その変化は本当に身体だけの問題なのでしょうか。
私たちの身体はもちろんのこと、食べ方、暮らし方、家族との関係、地域とのつながり、さらには価値観や精神状態にまで、何らかの変化をもたらしてはいないでしょうか。
セイレーンの性格の変貌は、食性の変化による心身の異変を象徴しているように思えてならない。そう考えると、私は一つの素朴な結論にたどり着きます。
日本人の食性を考えるなら、炭水化物の中心に置くものとして、少なくとも歴史的には小麦より米を重視することには意味があるのではないか。
米は、日本の気候風土の中で長く栽培され、日本人の生活文化の中心に組み込まれてきました。
一方、小麦を日本人が食べてはいけないという話ではありません。ただ、現在のように小麦製品が食生活の大きな部分を占めるようになったのは、歴史的には比較的新しいのです。
肉についても同じです。シカやイノシシなど、日本列島で古くから利用されてきた動物があります。
一方で、現代のように牛肉や豚肉を日常的に大量に食べる食文化は、歴史的には新しい側面があります。
だから私は、「牛や豚は日本人の身体に合わない」と断定するつもりはありません。
ただ、「日本人が長い歴史の中で、何をどの程度食べてきたのか」という視点から見れば、魚介類や豆類、野菜、海藻、発酵食品などを組み合わせてきた食文化のほうが、少なくとも歴史的な連続性を持っています。
そして、その組み合わせを一つの体系として残してきたものが、和食なのではないでしょうか。
ここで、冒頭の言葉に戻ります。
民族を変えようと思ったら、政治を変えるより先に、食卓を変えればいい。
私は、この言葉を事実として主張するつもりはありません。しかし、現代社会を考えるための仮説としては、検討する価値があると思っています。
政治は法律を変え、教育は知識や価値観に影響し、広告は消費行動を変えます。
そして食は、毎日身体の中に入ってきます。
一日だけなら、大きな変化はないでしょう。
一週間でも、まだ分からない。一年でも、変化を実感できないかもしれません。
しかし、それが十年、二十年、三十年と続いたらどうでしょうか。さらに、その食生活の中で育った子どもたちが、次の世代を育てたらどうでしょうか。
食卓の変化は、やがて生活習慣の変化になり、生活習慣の変化は、文化の変化につながる可能性があります。
だから私は、食の問題を「何を食べれば健康になるか」という個人の健康問題だけに限定して考えるべきではないと思います。
もっと大きな時間軸で、私たちは、どのような食文化を次の世代に残そうとしているのか。
そこまで考える必要があるのではないでしょうか。
そして、ここでもう一度、冒頭のセイレーンを思い出してみたいのです。
島民と出会った頃のセイレーンは、少なくとも私には、島民に協力的で、明るく、どこか優しささえ感じられる存在に見えました。
それが、物語の中では、まるで別人のように変わっていきます。
しかし、私が気になったのは、島民を食べてしまうという極端な行動そのものではありません。
本当に気になったのは、その前に描かれていた、もっと小さな変化です。
近くにはヒトハとフタバのボートがいる。当然、視界に入っていたはずですし、ボートを壊した感触もあったはずでしょう。
それなのに、セイレーンの反応は、「なにかに当たったかな……まあ、いいか」という言葉。
私はここに、単なる「悪意のない無邪気さ」とは少し違う、他者に対する感覚そのものが鈍くなっているような変化を感じました。
そして、これは実は、私たちの日常からそれほど遠い話ではないのではないでしょうか。
会社でも、友人関係でも、家族の中でも、相手の存在が少しずつ「見えなくなっていく」ことがあります。
目の前に人がいるのに、その人が何を感じているのか、何を困っているのか、何を傷ついているのかに気づかなくなる。
自分に直接関係することでなければ、そこに誰かがいても、まるで存在していないかのように扱ってしまう。
しかも、そうした変化は、本人にも周囲にも、なかなか気づかれません。
昨日まで優しかった人が、ある日突然、別人になるわけではないからです。
少しずつ周囲への関心が薄れ、相手の存在を感じ取る力が弱まり、それが長い時間をかけて積み重なったとき、初めて「この人は、以前と何か違う」と感じるようになるのです。
それは、会社や家庭のような環境であれば、本人も周囲も気づかないまま、日常的な人間関係のもめごとや、小さな行き違いとして済んでしまうのかもしれません。
相手の存在に気づかない、相手が何を感じているのかを考えない、あるいは自分には関係のないこととして見過ごしてしまう。
そんな小さな変化が積み重なっていても、それだけで「この人は変わってしまった」と気づくことは、案外難しいものです。
これが日常に起きる車の事故であったとしても、私たちはまず被害の大きさに目を向けます。
誰がどれだけ傷ついたのか、どれだけの損害が生じたのかが問題となり、その事故を起こした人が、以前と比べてどのように他者への感覚を失っていったのか、その人格や性格がどのように変化していたのかまで語られることは、ほとんどないでしょう。
ところが、『ちいかわ―人魚の島のひみつ』の中では、その「気づかない」という小さな変化が、取り返しのつかない悲劇へとつながっていきます。
海水浴中の事故に気づかない。しかも、自分たちには何の非もないにもかかわらず、仲間が、あるいは唯一無二の親友や、かけがえのないパートナーが理不尽にも命を奪われる。
もし、それが自分の身に起きたとしたら、残された者が強い復讐心を抱き、その復讐を実行してしまったとしても、物語としては決して不自然ではありません。
これは、セイレーンにも当てはまるのではないでしょうか。
セイレーンも人魚も、自分たちが事故を起こしたという実感は、まるでありません。仲間の人魚が一人殺されたとき、ヒトハと同じように、「自分たちは何も悪くないのに、なぜ?」という思いを抱いたはずです。
そしてセイレーンにとっても、ヒトハと同じように、理不尽な形で大切な人を失ったという感覚があったのではないでしょうか。
そう考えるなら、セイレーンがその後、極めて残酷な復讐に出たことも、単純に異常な行動として片づけるのではなく、理不尽な喪失から生まれたものとして理解するほうが、むしろ自然なのではないかと私は思います。
だからこそ、この作品では、セイレーンの「人を食べる」という行動だけを見るのではなく、その前段階にある、「目の前にいる他者の存在が見えなくなっていく」という変化に目を向ける必要があるのではないかと、私は感じたのです。
そう考えると、私はセイレーンがあのような存在へと変わってしまったことを、単純に「もともとサイコパスだった」と考えることができませんでした。
むしろ、何かをきっかけに少しずつ変化し、その変化が積み重なった結果として、あの残酷な行動に至ったのではないか。
では、いったい何が、その変化を生み出したのでしょうか。
その疑問から私は、食の歴史をたどり始めました。
長い時間をかけて、その土地で暮らす人々の身体に馴染んできた食性があります。
それは単なる「好きな食べ物」の話ではなく、何を食べ、どのように身体をつくり、どのような生活を送ってきたのかという、民族の歴史そのものとも考えられます。
だからこそ、もしその食性が、わずかな世代の間に、それまで長く培われてきたものとは大きく異なる食生活へと置き換えられたとしたら、身体だけでなく、生活習慣や行動、さらには人との関わり方にまで、何らかの変化が現れるのではないか。
私は、『ちいかわ―人魚の島のひみつ』を観て、セイレーンの変貌を目にしたとき、そんなことを考えました。
そして、食性の歴史をたどってみると、日本人にもまた、長い時間をかけて培われてきた食性があったことに気づかされます。
その食性を、まるで別の民族のように急激に変えてしまったとしたら。
もしかすると、セイレーンの変化として描かれていたものは、単なる物語上の特殊な出来事ではなく、私たち自身にも起こり得る「気づかない変化」を、極端な形で見せていたのではないでしょうか。
食べるものが変わる。
身体が変わる。
生活が変わる。
そして、気づかないうちに、人そのものが変わっていく。
『ちいかわ―人魚の島のひみつ』を観て、私はそんな少し怖いことを考えたのです。
