身体を良くすることを考えるとき、私たちはつい「どうすれば早く治せるのか」と考えます。
一回で変化するのか、三回で済むのか、半年も通う必要があるのか。現代の施術業では、こうした「早さ」や「回数」が、施術を選ぶ一つの大きな基準になっています。
私自身も長くこの仕事を続けてきたからこそ、その価値観が生まれた理由はよく分かります。
けれども今回、塩原温泉のまじま荘で85歳の大先生の施術を受け、古典的な湯治を体験したことで、少し違う方向から身体を見るようになりました。
身体は、ただ「治す」ものなのだろうか。
あるいは、長い時間をかけて身体に積み重なったものを一つずつほどきながら、温泉や食、そして人の手から何かを受け取り、身体そのものを養っていくものなのではないか。
大先生の施術は、私自身の身体だけでなく、これまで私が考えてきた「施術の価値」そのものを考え直すきっかけになりました。
その体験から、古典的な湯治が持っていた意味と、現代の施術業が見失いかけているものについて考えてみたいと思います。

養気美動<第2話>
塩原温泉旅館まじま荘での古典的な湯治を通して、「早く、少ない回数」の先にある施術の真価を問い直します。
