便利なものに囲まれ、効率ばかりを追い求めてしまう現代。私たちは知らず知らずのうちに、大切なエネルギーをすり減らしているのかもしれません。
今回お届けする「滋味美動」第2話の舞台は、東京・昭島市にある小さなパン屋さん「巴パン」。
35年間、職人が生地と対話しながら焼き上げるパンには、まるで「おにぎり」のような、冷めてもしみじみと美味しい温もりが宿っていました。
ひとつのパンがつなぐ、手作りの営みと生命力の循環。忙しい日々の足を少しだけ止めて、あたたかい香りに満ちたストーリーをのぞいてみませんか。

生命力は流れて出ていくだけじゃなくて、逆に“満ちたものから注がれる”こともあります。人も自然も、生命力の少ない人やモノに、そっと力を吹き込むことができます。
まずは、最も身近な方法から。
それは“手作り”だと思います。
手で食材に触れる。皮をむく、刻む、混ぜる、こねる、握る――そうした一連の動作は、単なる調理工程ではありません。そこには、触れる人の生命力が微細に伝わり、命を失ってから時間が経った食材にも、わずかながら「生きたエネルギー」を宿らせる働きがあります。
昭島市役所のすぐ裏手に、まるで小さな家庭のキッチンをのぞいているような、あたたかい香りのただようパン屋さんがあります。

名前は「巴パン」。

初めて訪れた時からすっかりファンになってしまって、ふと時間ができると、つい足が向いてしまうお店です。
開店直後、店内に入って真正面には、ところ狭しといろいろな種類のお惣菜パンやスイーツパンが並んでいます。


横の棚には、真四角でぴんと角の立った食パンがずらり。その整った姿を見るだけで、きちんと仕事をされていることが伝わってくるのです。
このお店のパンづくりは、「食育」への想いから始まったそう。親と子が食卓を囲み、「おいしいね」と笑い合う時間を大切にしたい――。
そんな気持ちが、今のパンづくりの原点になっているのだとか。

だから、巴パンさんが目指すのは「大人が感動し、子どもが笑顔になるパン」。素材の味がまっすぐに伝わり、世代を超えて「おいしい」と感じられるやさしいパンが焼かれています。
「パンは、生きています」―― 職人の手が生み出す日々の味
話を伺っていて印象的だったのが、この言葉。
「パンは、生きています。」
生地は毎日違う表情を見せるため、気温や湿度にあわせて水の量やこねる力加減を細やかに変えているそうです。「いつでも同じ味」を保つための繊細な調整――これぞまさに職人技。
そして、パンに使う素材も徹底しています。
- 無添加&無化学調味料で手作り
- 契約農家から届く、生みたての卵を使用
- 小麦粉、砂糖や塩も、素材の力を引き出すために厳選
- パンの油脂には北海道よつ葉バターを使用
- たんぱく質の補いには無脂肪のスキムミルクを使用
- 砂糖はイーストが自然に膨らむために必要な量を加えています

パンにはさむソーセージは無塩せきの良質なものを使用。さらに、パンの中に入れる具材やトッピングも、できるだけ手作りするようにしているそうです。それは、「安心して子どもに食べさせられる安全なパンを届けたいから」とのこと。
巴パンさんの前日から始まるパンづくり
巴パンさんは、金曜・土曜・日曜の3日間は仕入れに使われます。
そして、月曜日は仕込みの日です。
巴パンさんの厨房には灯りが一日中ともっています。店主さんは、翌日火曜日の11時の開店に合わせて、前日の朝から仕込みを始めるという。

惣菜パンに使う具材やトッピングのほとんどが手作り。コトコト煮込み、丁寧に味を整える。


人気の「とんかつパン」は、毎回新しい油でカラッと揚げ、余分な油を丁寧に落としてサンド。だから冷めてもべたつかず、カラッとした歯ごたえが残るのがすごいし、パンのふんわり感と絶妙に合って抜群に美味しい。
アンパンに使う餡も、北海道産の良質な小豆。自然な甘さの中に、ふわりと香る小豆の風味が心に残ります。どのパンも、ちゃんと“人の手で作られた”感じがします。

「パンづくりの世界では、素材が決め手になるわけではないのです。作り手の技術で大きく変わります。」
そう語る声には、確かな実感がこもっていました。

確かに、素材だけでは“本当のおいしさ”は生まれません。前日から仕込みを始め、熟練の腕前で具材を作り、生地と対話しながら焼き上げるからこそ。
すべては、“今日のパンを最高の状態で届けたい”と、35年間パンを作り続ける店主の手と感覚、そして深い経験がどの工程にも宿っているように感じます。
家族の笑顔を包み込む、やさしいパン
食べていると、ただおいしいだけじゃなくて、心がほっとするような温かさを感じます。家族で分け合いたくなるような、そんなパン。
「子どもたちの未来に、やさしく香るパンを」という言葉の通り、このお店にはあたたかい香りと誠実な想いがいっぱい詰まっていました。家族の朝食にも、誰かへのちょっとした贈り物にも。このパン、きっと笑顔を運んでくれると思います。
少しだけお話を伺う機会があって、そこで印象に残ったのが、この言葉でした。

「本物をつくるとは、味だけのことじゃない。食パンの角がまっすぐに立ち上がり、腰折れのない真四角の形で焼き上がること。その姿こそが、誠実な仕事の証なんです。」
聞いた瞬間、ハッとしました。
“形”の話をしているのに、そこに込められているのは“仕事の姿勢”なんですよね。
私たちはつい「いい素材を使えばおいしいものができる」と思いがちですが、巴パンさんの考え方は少し違います。
素材はもちろん厳選しているけれど、本当の決め手は作り手の腕と誠実さ。

巴の食パンづくりには、配合や工程の丁寧さはもちろんのこと、「素材を最大限に活かすこと」「食感」と「香ばしさ」「美味しさ」へのこだわりが息づいています。
店主によると、巴の食パンが目指すのは、まるで「おにぎり」のようなパンなのだそう。
冷めてもお米の味が損なわれないおにぎりのように、時間が経っても素材本来の味が落ちず、生でそのまま食べて美味しい状態が続くことを何よりも大切にしています。
そのためには、素材の密度を上げて豊かな食べ応えを出したい。しかし、水分量を減らすとボソボソした食感になってしまう――。そのジレンマを乗り越えるために、全国のさまざまな小麦を試した末に辿り着いたのが、北海道にある小さな製粉会社の最高級カナダ産小麦の小麦粉でした。
粒子が細かく軽やかなこの小麦粉で作られた食パンは、密度の高いズッシリとした外観を持ちながら、生食ではなめらかでふんわりとした口あたり、トーストすればふんわりカリッと軽やかな食感を実現してくれるのです。
さらに驚くのは、なめらかさを出すために植物性油脂を一切使っていないこと。油脂は小麦の香ばしさを壊さない程度に、北海道よつ葉バターのみを使用しているそうです。それでありながら、おにぎりが翌日もしみじみと美味しいように、時間が経っても驚くほど豊かなしっとり感が保たれるというのですから、職人技のすごさを感じます。
その日の湿度や気温、生地の状態を見極めて、水の量やこね方、焼き加減を細かく調整する。そうしてようやく、腰折れのない真四角の食パンが焼き上がるのだそうです。
つまり、「素材の良さを引き出すのは人の技」。
そして「形の美しさには、作り手の誠実さが現れる」。その言葉を聞いて、“本物をつくるというのは、味の話だけじゃない”という意味が、ようやく自分の中でも腑に落ちた気がしました。

巴のもうひとつの人気商品、グラハム食パンもこの「生でなめらかふんわり、トーストでふんわりカリッと」という基本路線を受け継いでいます。
「美味しい!」と思わず声が出てしまうほどの満足感があるのに、毎日食べても不思議と飽きがこない。そんな“体を毎日健やかにする主食”を目指して生まれたのが、巴のグラハム食パンです。
一般的にグラハム粉を加えると、独特の豊かな風味が加わるものの、どうしても食感がボソボソしがち。柔らかさを出すために国産小麦を使うという手もありますが、国産小麦は粒子が粗く、水分を多く含むため、どうしてもズッシリ・モッチリとした食感になってしまいます。
また、なめらかさを求めてショートニングを加えれば、小麦本来の香ばしさが失われてしまう――。そのバランスの難しさに、店主は長いあいだ悩んだそうです。
さらに立ちはだかったのが、サイズの問題。グラハム粉は一般の強力粉よりグルテンが少なく、どうしても膨らみが悪いのです。
ボリュームを出すために効率的な方法に頼ることもできます。けれど、店主はその道を選びませんでした。何かを足して形を整えるのではなく、何より「素材を活かす」「安心して子どもに食べさせられる安全なパンを作る」という信念に反するからです。
試行錯誤を重ねた末にたどり着いたのは、配合や発酵ではなく、“こね”の工程を変えること。その一手間で小麦本来の力を引き出し、理想のサイズと食感の両立に成功したのです。
そして、小麦胚芽を加えることで、香ばしさと奥深い味わいをさらにアップ。ようやく完成したのが、“美味しさと健やかさを両立した”巴のグラハム食パンです。
焼き上がった瞬間、グラハムの香ばしい香りがふんわりと広がり、柔らかな食感の中に小麦の力強さを感じます。毎日の食事を大切にしたい人にはもちろんうれしいパンですが、それ以上に“香りと食感で心を満たすパン”です。
私たちもこのグラハム食パンの魅力にドはまりしています。そして、巴パンさん以外の食パンが食卓にあがることはなくなりました。
私は、この“手作り”という営みには、数値化できない不思議な力が宿っていると感じています。
それは、単なる料理のテクニックではなく、「人が人らしく生きるための行為」そのもの。自分自身の生命力を少し分け与え、同時にそれを自らの身体へと還元する循環のようなものです。
現代は便利なものに溢れ、手間を省けば省くほど効率的に暮らせる時代になりました。
しかし、その便利さの裏で、私たちは本来もっていた生命力を少しずつ手放しているのかもしれません。
だからこそ、たとえ一品だけでもよいので、手を使い、自分で作るという行為を取り戻してみる。
すると、そこからまた静かに生命力が満ち始め、暮らし全体が少しずつ変わっていくように思うのです。
