はじめに
――「資格がないから」では説明できない世界
整体や療術の仕事をしていると、ときどき不思議な場面に出会います。
同じように人の身体に触れている。
同じように筋肉をほぐす。
同じように身体の動きを確認する。
場合によっては、施術者が考えていることも、受けている人が感じていることも、それほど大きく違わない。
それなのに、ホームページに書く文章になると、急に話が難しくなる。
「治す」と書いていいのか。
「改善」と書いていいのか。
「治療」と呼んでいいのか。
「コンディショニング」ならいいのか。
「健康維持」と書けばいいのか。
こうした疑問を持ったことのある施術者は、少なくないのではないでしょうか。
私自身、長年この仕事をしてきて、以前はもっと単純に考えていました。
技術があるか。
お客様に喜んでもらえているか。
そして、きちんと仕事をしているか。
それが一番大切なのだと思っていたのです。
ところが、ホームページを持ち、そこに自分の仕事を文章で説明するようになると、そう単純ではないことに気づきました。
技術そのものと、それを社会に向けてどう説明するかは、別の問題なのです。
そして、その「説明する言葉」が、資格や制度と絡み合ってくる。
ここから先は、単なる広告の書き方の話ではありません。
私は、これこそが現在の療術業界を考えるうえで、かなり重要な問題なのではないかと思っています。
資格が違えば言葉も違う?
まず、ここは誤解のないようにしておきたいと思います。
国家資格制度には、もちろん明確な法的根拠があります。
あん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅうについては、それぞれ法律に基づく免許制度が設けられています。
一方で、私たちが「整体」「療術」「コンディショニング」「リラクゼーション」などと呼んでいる領域は、国家資格制度だけを見ていると、その位置づけが分かりにくい。
これまで『医療類似行為の真実②―公の建前と本音』や『医療類似行為の真実③―「治療」が「ウェルネス」に飲み込まれた日』で見てきたように、あはき・柔整以外の医業類似行為については、歴史的な経緯もあり、単純に、
「国家資格がなければ、人の身体に触れる仕事はできない」
という一言で説明できる制度ではありません。
平成3年の厚生省通知においても、あはき・柔整以外の医業類似行為について、届出施術者に関する経過措置や、「人体に危害を及ぼすおそれ」を基準とする取り扱いが示されています。
つまり、ここには最初から、「資格があるか、ないか」だけでは割り切れない領域が存在していたわけです。
ところが、現場を離れて一般的な議論になると、いつの間にか、
「国家資格者=施術ができる存在」
「無資格者=施術そのものを行ってはいけない存在」
という単純な図式になってしいまいがちなのです。
私は、この単純化に少し違和感があります。
なぜなら実際には、
何をしているのか。
何を目的としているのか。
どのようなサービスとして提供しているのか。
そして、それをどのような言葉で社会に説明しているのか。
これらを分けて考えなければ、現在の療術業界は見えてこないからです。
仕事の中身よりも「説明の仕方」が問われる時代
ここで、私たち施術者にとって非常に身近な問題が出てきます。
例えば、「身体を整える」という言葉があります。これは比較的広い意味で使えます。
ところが、「腰痛を改善する」となれば、特定の症状に対する効果をうたう表現になります。
さらに、「腰痛を治す」となれば、もっと強い意味を持ちます。「この施術で椎間板ヘルニアを改善する」となれば、さらに具体的な医学的効果を主張することになります。
同じ身体を扱っている。同じ施術者が行っている。場合によっては、施術そのものが大きく変わっていない。
それでも、言葉が変わるだけで、そのサービスが社会に与える意味は変わってしまう。
ここに、私は現在の療術業界の難しさがあると思っています。
広告表示に関しても、景品表示法などによって、サービスの内容や効果について消費者に誤認を与える表示は規制されています。
つまり現在の事業者には、「自分はそう思っている」だけではなく、「その言葉を、一般の人はどう受け取るのか」まで考えることが求められている。
これは、施術技術の問題とはまったく別の能力です。技術者として優秀であっても、文章を書くことには慣れていない。そんな人は、療術業界にはたくさんいるでしょう。
私自身もそうでした。だからこそ、ホームページを作るということは、単に自分の技術を紹介することではありません。
自分の仕事を、社会に通じる言葉へ翻訳する作業でもある。
私は、そう考えるようになりました。
治療とウェルネスの間で
この問題を考えていくと、前回の記事『医業類似行為の真実④―密かに解釈変更された「治す」という言葉の定義』にもつながってきます。
私は長年、筋骨格系のコンディショニングを仕事にしてきました。
そして現場にいると、「治す」という言葉そのものが、実は非常に曖昧な言葉であることに気づきます。
腰の違和感がなくなれば「治った」のか。
肩が軽くなれば「治った」のか。
以前より歩きやすくなれば「治った」のか。
ゴルフに復帰できれば「治った」のか。
それとも、医学的な診断によって原因が特定され、その原因に対して治療が行われ、疾患が治癒した状態だけを「治った」と呼ぶべきなのか。
現場にいる人間として考えれば考えるほど、この言葉は簡単ではありません。
だから私は、だいぶ早い時期から、自分の仕事を「治療」という一つの言葉だけで説明することをやめました。
その代わりに、骨盤などの骨格のバランスを整えることによって、「美しい体型と、よりスムーズに動ける健康な身体を同時に目指す」という価値を提供する仕事として考えるようになりました。
療術業におけるパラダイムシフトが起き始めただろう思われる2009年に入った頃から、それまで、他の整体店と同じ内容―腰痛や肩こりを回復させるという療術が前面に出る仕事から、明確に筋骨格の健康を最高レベルに引き上げるコンディショニングとウェルネスを打ち出す方向に転換しました。
(ホームページも一新したのは、ちょうどその頃でした。2009年6月に完成した文章は、その後、時代に合わせて必要な情報を加えたり、スマートフォン対応などシステム面を変更したりはしましたが、各ページの基本的な文章はほとんど変えることなく、2026年4月の全面リニューアルまで、実に17年間使い続けてきました。どのお店も似た内容な中、表現の順番、言葉使い方だけで読まれる読まれないがある。今回のような言葉の使用問題さえなければ、それまでの文章をずっと使い続けたかった。それだけに、コンプライアンスを守るために表現を変えざるを得なくなったことは、正直なところ、本当はとても残念に感じています。)
そして2013年10月改定の日本標準産業分類には、「リラクゼーション業(手技を用いるもの)」という細分類が新設されました。
これは、身体に関わるサービスが、医療や医業類似行為だけではなく、一つのサービス産業として整理されていったことを示す象徴的な変化だと思います。
健康をめぐる市場は、治療だけではありません。
ウェルネス(予防・健康維持や向上)
コンディショニング(最高レベルの健康への引き上げ)
運動
エクササイズ
ボディメイク
美容
リラクゼーション
さまざまな領域が重なりながら、大きな健康関連市場を形成するようになりました。
だからこそ、昔ならそれほど意識しなかった「治療」と「ウェルネス」の境界が、今になって重要になってきたのではないでしょうか。
では、両者を分けている本当の境界線はどこなのか
例えば、
「動きやすい身体を目指します」
「スポーツや趣味を楽しめるコンディションをサポートします」
という表現があります。
一方で、
「腰痛を改善してゴルフに復帰できます」
となれば、受け手が感じる意味はかなり変わります。
同じ人間の身体を扱っている。同じような手技を使うこともある。同じように、施術後に「身体が動かしやすくなった」と感じる人もいる。
それでも、社会に向けて説明するときには、その意味が変わってくる。私は、ここに非常に興味を持っています。
仕事の境界線は、技術だけで決まるわけではない。
制度
資格
業務内容
サービスの目的
そして、それを説明する言葉。
いくつもの線が重なり合って、現在の療術業界の輪郭を作っているのです。
だから私は、
「何をしているか」だけではなく、「何と言っているか」が重要になる。
と考えるようになりました。
私がホームページから140人分の「お客様の声」を外した理由
ここで、少し私自身の話をします。
実は今年の4月に、当店ホームページに長年掲載してきた、お客様の自筆によるご感想をすべて取り下げました。
140名を超える方々からいただいた、手書きの貴重なご感想です。
正直に言えば、消したくありませんでした。
長年この仕事をしてきた人間にとって、お客様からいただいた言葉は、単なる広告素材ではありません。
自分がどんな仕事をしてきたのかを振り返ることのできる、貴重な記録でもあります。
それでも私は、すべて取り下げることにしました。
理由は、法令や広告規制を取り巻く環境が以前とは明らかに変わってきたからです。
特に気になったのが、「お客様本人の感想なら大丈夫」という、これまで何となく持っていた感覚です。
しかし、ホームページに掲載した時点で、それは第三者に向けた情報になります。
その文章が、サービスの効果を示す広告として受け取られる可能性があるなら、単なる「個人の感想」として片づけることはできません。
私はそう考えるようになりました。
行政は「療術」をどう整理してきたのか
こで少し視点を変えてみます。
私は、行政が療術業界をどのように扱ってきたのかを調べていくと、そこには一つの面白い変化があることに気づきました。
それは、
「国家資格がある仕事」と「それ以外の身体関連サービス」を、社会の変化に合わせながら少しずつ整理しようとしてきたこと
です。
もちろん、行政が「整体を積極的に認めよう」と一貫して政策を進めてきた、という単純な話ではありません。
むしろ、医療、安全、消費者保護、産業振興という、それぞれ異なる目的の間で、制度の整理が続いてきたと見るほうが自然でしょう。
あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう、柔道整復には国家資格制度がある。
一方で、それ以外にも、人の身体を扱うさまざまな民間サービスが存在している。
さらに時代が進むと、コンディショニング、フィットネス、エステ、リラクゼーション、など、従来の「治療」という枠だけでは捉えにくいサービスが増えていきました。
そこで行政側にも、「これは医療なのか」という二択だけではなく、「これはどのような産業として位置づけるのか」という視点が必要になってきたのだと思います。
その象徴の一つが、2013年10月改定の日本標準産業分類における「リラクゼーション業(手技を用いるもの)」の新設でした。
これは、少なくとも統計上は、身体に関わるサービスを「医療」とは別の産業として捉える枠組みが整えられたことを意味します。
私は、この変化をかなり重要だと思っています。
なぜなら、ここから先は、
「資格があるか、ないか」だけではなく、「どの市場に属しているのか」
という見方が必要になるからです。
市場が広がれば、ルールも増えていく
健康関連サービスの市場が広がれば、当然そこには消費者が集まります。
消費者が増えれば、事業者も増える。事業者が増えれば、優良なサービスもあれば、そうでないサービスも出てくる。そこで必要になるのが、消費者を守るためのルールです。
広告表示も、その一つでしょう。
「このサービスを受ければ必ず治る」
「○日で症状が消える」
「医学的に証明された方法」
こうした表現が、根拠なく使われれば、消費者が誤った期待を抱く可能性があります。だから行政は、広告や表示について一定のルールを設ける。
これは、単純に「療術業者を締め付ける」という話ではありません。
市場が大きくなればなるほど、
「自由に商売できること」と「消費者を守ること」をどう両立させるか
という問題が生まれるからです。
そして、ここで面白いことが起こります。
市場への参入が広がる一方で、広告についてはルールが増える。
新しい健康サービスが生まれる一方で、その説明には慎重さが求められる。
自由競争が広がる一方で、言葉には制約が生まれる。
つまり、
「自由になること」と「何でも言えること」は、同じではない。
私は、ここに現在の療術業界を考えるうえでの重要なポイントがあると思っています。
「資格」だけではなく、「市場の中で何者なのか」
こうして見ていくと、私たち施術者が考えるべきことも少し変わってきます。
「私は国家資格を持っているか?」もちろん重要です。
しかし、それだけではなく、
「私はどのようなサービスを提供しているのか?」
「誰に、何のために提供しているのか?」
「それは医療なのか、ウェルネスなのか、コンディショニングなのか?」
「その仕事を、社会に対してどんな言葉で説明するのか?」
まで考えなければ、自分の立ち位置が見えにくくなっています。
私は、ここがこれからの療術業界の一つの分岐点になると思っています。
資格を取ることだけを考えるのではなく、自分の仕事そのものを、どの市場に置き、どの言葉で社会に説明するのか。
これもまた、経営者として考えなければならない時代になったのではないでしょうか。
資格よりも言葉が人を分ける
ここで、もう一度このシリーズの原点に戻ります。
私たちは長い間、「国家資格者」と「無資格者」という二つの世界を見てきました。ところが、これまでの記事で見てきたように、その境界は歴史的にも、産業的にも、それほど単純ではありませんでした。
2009年以降、健康寿命や予防、ウェルネスという価値観が急速に社会へ入り込み、2013年10月の日本標準産業分類では「リラクゼーション業(手技を用いるもの)」が独立した細分類として位置づけられました。
現在の分類でも、リラクゼーション業は「心身の緊張を弛緩させるための施術」を行う事業所として整理されています。一方で、医業類似行為を業とする事業所は別の分類です。
つまり、社会はすでに、医療・医業類似行為とウェルネス・リラクゼーションという異なる受け皿を持っています。
そして、その二つを隔てる重要な要素の一つが、「言葉」なのです。
「治療」なのか。
「健康維持」なのか。
「症状の改善」なのか。
「コンディショニング」なのか。
「治す」なのか。
「サポートする」なのか。
この言葉の違いは、単なる言い換えではありません。
現代の広告社会では、その言葉が消費者に何を伝えるのかという意味で、事業者にとって極めて重要な問題になっています。
だから私は、今回あえて、「資格よりも言葉が人を分ける時代」というタイトルを付けました。
私たちはもう言葉を軽く扱えない
これは、同業者の皆さんに一番伝えたいことです。
昔の私は、「技術がしっかりしていれば、それでいい」と思っていました。
もちろん、今でも技術は大切です。しかし、ネット社会では、それだけでは足りません。どれだけ良い技術を持っていても、それを説明する言葉が問題になれば、そこから先へ進めないことがあります。
逆に、どれほど立派な言葉を並べても、その言葉を裏付けるものがなければ、今度は広告として問題になる可能性があります。
つまり、技術を磨くことと同じくらい、自分が何を言っているのかを理解することが重要になった。
私はそう感じています。
140枚を消して私は何を守ろうとしたのか
だから私は、お客様の140枚を超える自筆の感想を取り下げました。
これは、過去の自分を否定したかったからではありません。むしろ逆です。20年以上かけていただいた大切な言葉だからこそ、これから先も安心して事業を続けるために、自分の判断で整理しておきたかった。
「昔はよかった」ではなく、「今の時代なら、どうするのがいいのか」を考えた結果です。
もしかすると、これから先、「そんなことまで気にする必要があるの?」と思われるかもしれません。
私自身、以前ならそう思ったでしょう。しかし、SNSの世界を見れば分かります。ネット上では、私たちが書いた言葉そのものが、すでに社会的な評価や制限の対象になっています。
その仕組みが、今後さらに高度化していく可能性があります。
だから私は、「誰にも見られないだろう」ではなく、「誰に見られても大丈夫な状態にしておく」という考え方に変えました。
おわりに――これからの療術業は、「技術」と「言葉」の両方が問われる
これまでの療術業界では、「どんな資格を持っているか」が、自分の立場を決める大きな要素でした。
しかし、これからはそれだけではないと思います。
何をしているのか。
何を目的としているのか。
それを何という言葉で説明するのか。
そして、
その言葉を、何年後に見られても説明できるのか。
ここまで考えなければならない時代になってきたのではないでしょうか。
国家資格者と民間療法者。
医療とウェルネス。
治療とコンディショニング。
これまで私たちは、それぞれを別々の箱に入れて考えてきました。しかし実際には、その境界線は社会の変化とともに動いてきた。
そして今、その境界線は「言葉」のところまでやって来た。さらに、その言葉を大量に読み取り、分類し、過去と現在を照合する技術まで急速に進歩している。
私は、ここにこれからの療術業界の大きな変化が待っているように思えてなりません。
もしかすると、これからの時代に最も重要な資格は、「国家資格を持っているか」だけではないのかもしれません。
自分の仕事を、法令にも、時代にも、そして何年後の自分にも説明できる言葉で語れるか。
それが、これからの小さな事業者にとって、もう一つの「資格」のようなものになっていくのではないでしょうか。
技術は身体に触れます。けれど、言葉は社会に触れます。そしてネットに書いた言葉は、時間を超えて残ります。
だからこそ私は、これからの療術業を、
「技術を磨く仕事」であると同時に、「言葉に責任を持つ仕事」
として考えていきたいと思っています。
それが、私が140枚を超える大切なお客様の生の声をホームページから取り下げるという、少し寂しい決断をした理由でもあります。
これからも私は、技術だけでなく、自分が使う言葉にも責任を持って、この仕事を続けていきたいと思います。
資格が人を分ける時代から、言葉が人を分ける時代へ。
私たちは今、その境界線の上に立っているのかもしれません。
