SNSに何気なく書いた一言が、何年後かに自分へ返ってくる。
そんな時代になったのだと思います。
昔なら、言葉は時間とともに消えていきました。新聞も、チラシも、雑誌も、やがて古紙になり、人々の記憶からも少しずつ遠ざかっていった。
ところが今は違います。一度ネットに出した言葉は、削除したからといって、必ずしも消えたことにはなりません。しかも、そこにAIが加わりました。
過去の文章を探し、分類し、比較し、現在の情報と結びつけることが、これまでとは比べものにならないほど容易になっていく。
これは、単に「ネットは怖い」という話ではありません。
行政も企業も、そして私たち個人も、これからは「過去の自分が残した情報」と無関係ではいられなくなるという話です。
さらに興味深いのは、その変化が単なる技術革新だけでは終わらないことです。
社会の透明性が高まれば、行政は行政で仕事を効率化できる。企業は企業でリスクを管理しなければならない。そして、その過程で新しい市場やルールが生まれていく。気がつけば私たちは、便利さと引き換えに、少しずつ「忘れてもらえる社会」から遠ざかっているのかもしれません。
療術業界を20年以上見てきた私にとっても、これは決して他人事ではありません。
前回の記事では、「資格」よりも「言葉」が人を分ける時代について書きました。今回は、そこからもう一歩外へ出てみたいと思います。
なぜ私たちは、これほどまでに言葉を慎重に扱うようになったのか。
なぜ、過去の言葉まで現在の自分について回るようになったのか。
そして、その「ガラス張りの社会」は、いったい誰にとって都合のいい社会なのか。
少し大きな話になりますが、これからの小さな事業者や個人が、自分の仕事と信用を守っていくためにも、一度考えておいて損はないテーマだと思っています。

