就職先の現実を目の当たりにして唖然・・・
当初は結婚したてだったので、昼は会社で働いて夜は学業に専念する予定でしたが、 すべて計画を練り直しし会社をやめ、授業以外は東京一の繁忙店であった池袋の直営店で修業させてもらうことにしました。
これからの30年、健康産業はますます発展し、一生食いっぱぐれがない、入学初日の学院長の煽動的なスピーチに浮かれたムードの中、 ふと目に止まった学内の求人広告。正直青ざめました。一気に夢から覚めたのです。
骨格矯正専門の学校なのに、就職先に直営店以外の骨格矯正院がほぼないという実態。
(しかも直営店の額面月給は週6日勤務で昇給なしの12万円。 正社員ですから、そこから社保・厚生年金と税金が天引き。雇われだと食べていけない!!)
このような求人しかない現実が、在学中は修業にいそしもうと決意した一番の理由でした。
それに加え、自立した施術師として営んでいくなら、4年分の知識の差を自力で埋めつつ、 それを超える臨床実践を積んだ超専門家にならなければ、到底お客様の健康回復に導くなど望めるわけがないという思いにもなりました。
また開業をするにしても、修業は治療院ならどこでも良いというわけではありません。 成功するタイプの経営も、実地から学ばなければ開業しても失敗してしまいますので、骨格矯正メインの手技でなおかつ繁盛院でなければならないはず。
そう考えると、鍼灸院で助手のアルバイトをしても、骨格矯正はやらせてもらえないなら、修業を積み重ねる意味がないことになる。
整骨院にもかけあってみたのですが、助手の仕事は電気と無資格の範囲でできるマッサージで、 学校で習う『ほぐし療法』は一切使ってはダメとは!これも修業の意味なし・・・
病院のリハビリセンターでも、骨格矯正もほぐじ療法も全く使用しない。思い切って使用してもいいか?と聞いてみたが、絶対ダメという即答。
このように在学中のアルバイトや卒業後何とか食べていけそうな就職先は、病院や鍼灸といった国家資格院の助手ばかりだったのです。
自費治療は孤高への道と知る
では骨格矯正院での修業に辿りつける方法は何だったか?それは在学中から骨格矯正院で修業させてもらい、卒業するまでにお客様への施術デビューを果たすことでした。
失敗なく施術ができるレベル(要は開業して即食べて行けるレベル)までになっておけば、 修業先の就職だけでなく、求人票には載っていない、卒業OBの骨格矯正院に訪れても雇ってくれるわけです。
(なるほど、在学中の修業の仕方如何によって就職先が決まるわけか・・・単に授業出て単位取っただけでは先がないというわけね。)
求人票外の骨格矯正院の給与をリサーチしてみたら、意外に高給取りが多い印象でした。
雇われ院長は繁盛しているお店では40万円以上かぁ
反面、施術成果を上げられない社員はいつまでも給与が低い。
外資系の会社よりも厳しい超実力主義か、、、
(リサーチをしながらそういう感想を持ったことを今でもよく覚えています)
入学当日に治療界の本当の姿を見させてもらえたのは私にとってはとてもラッキーに思えました。 しかし修業といっても治療界はとても敷居が高い。ましてや繁盛院となればお願いする程度では居させてもらえない。
私が入学したころの治療院の世界は、『働かせてやる、盗ませてやる』という典型的な職人の世界なので、給与の交渉なんて無意味。 掃除・洗濯・チラシ配りでも何でも進んでやったとしても、何か実践的なことを教えてくれるわけでもない。
それが当たり前の世界なので、人並み以上に頑張ってもチャンスすら生まれないかもしれない。
インターンでお客様には一切触らせてもらえず、結果就職もできず別の学校に入学し直す ドクターショッピングならぬスクールショッピング?する人、卒業後サラリーマンに戻ってしまう人がこの世界には特に多いのもうなずけます。
また、運よく修業先の研修にこぎつけても、見学だけで終わる人もいれば、 電話受付や広告などの実務はやらせてもらえても、骨格矯正までさせてもらえなかった人もたくさんいました。
はたまた正社員で売れっ子になっても、開業して数年で廃業してしまう人もゴロゴロと。
今は治療院マーケティングが発達していて、専門のコンサルタントにお世話になれば、数か月で集客に成功する、なんて例は珍しくなくなってきてますが、 私の時代は、血ヘドを吐くくらい頑張っても花咲かない人がごまんといる超厳しい世界でした。
自分で言うのも何ですが、私も修業に関しては限界以上のことを数多くこなしてきましたし、技術に関してもかなりの自負がありますが、 だからといって開業した際、即満員御礼になったかといえば全然そうではなく、軌道に乗るまで2年はかかってます。
しかし、現実は何であっても、卒業して骨格矯正院の正社員になって、就業できなければ、費用400万円はドブに捨てるようなもの。
ですから私にはもう答えは出ていました。それしか道がないならやるしかない!私は腹をくくりました。
必死につかんだ技術修行のチャンス
入学した4月に会社を退職、ゴールデンウィーク明けには無給修業のために、東京一の繁忙店であった池袋の直営店の門をたたきました。
しかし、『研修なんて邪魔になるだけ』と門前払いをくらいました。2回目も訪れても同じ結果。3回目でやっと店内に入れてもらえました。学校の直営店でも東京一の売り上げを誇る繁盛店にもなれば、いくら生徒でも容易に敷居をまたがせてくれない。直接人を扱う仕事なのですから、受け入れ側も厳しくなるのは当然かもしれない。
この無謀な決定に、修業先と学校の先生、同級生からは馬鹿呼ばわりされ、嘲笑や屈辱を受けましたが、妻は何一つの非難もせず、それどころか快く応援してくれました。
とはいっても、やはり結婚したばかりなのに、本当に無給はマズイ。また、その年の夏休みに交通事故にまきこまれて以来、妻の体調がすぐれない日が続いたので、 彼女が派遣の仕事をいつ辞めてもいいように、少しでも備えておかなければ!とも考えていました。
そんなこんなで、修業の合間や休みの日には、友人相手に出張して施術経験を積ませてもらって、 極力早めにお客様施術デビューを果たせるようにしよう!とチャンスを求めて過ごしていました。
しかし、出張整体は学校に猛反対され、トラブルには一切関知しない、場合によっては即刻退学という条件付きで営むこととなりました。 まさか、この行為で先生方を敵にまわすことになるとは!
(ただ、確かにこの時期は“国家資格院による賠償事件”で新聞で騒がれていましたから、学校側も施術事故などに敏感になっていたのでしょう。 それに、施術による怪我への補償保険の適用範囲は学内だけでした。学外で生徒以外の人に怪我させた場合は学校を巻き込む大きなトラブルになるから、反対されたのは仕方がなかったのかもしれません)
そうして崖っぷちに立って死に物狂いで努力した結果、毎年11月に開かれる修業店のお客様感謝イベントで1年生にもかかわらず、特別にお客様施術デビューをさせてもらえたのでした。30分間ほぐし療法だけの担当でしたが、1日で22人を施術。くたくたになったものの、充実感でいっぱいでした。
そしてありがたいことに、そのイベントでの成功を機に友人が知り合いを紹介、その知り合いがまた別の知り合いを、、、 と出張施術のお客様が増えていきました。
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